「研究者」と「政治家」
「研究」の能力と、「プレゼンテーション」の能力。
「研究者」にとって必要とされるのは前者であり、「政治家」にとっては後者が必要であるとされていることはいうまでもない。
ただ、「研究者」がプレゼンテーションを必要とされるのは研究報告の場ぐらいであるが、偉い先生ともなると、スピーチの一つや二つも行わなくてはならないようである。
小生は昔学生だったころ、江崎玲於奈元・学長のスピーチを何度か聴く機会があったが、正直言って、あまりうまいとはいえなかったと記憶している(^^ゞ 言葉と言葉のつながりがうまく言ってなくて、お世辞にも「流れるような」お話ではなかった(研究に関する報告などでは、もしかしたら事情が違うかもかもしれません。その場合はどうかご勘弁をm(__)m)。
これは、筑波大学に籍を置いた者であれば、誰でも知っていることなので、暴露話などではない。
こうした話を持ち出したのは、小生もプレゼンが下手で、この「なんとなく」うまく話せない経験を共有しているからである。
「情報の塊(=イイタイコト)」があって、その関係性・論理プロセスも把握しているのだが、それをいざ、日常語にしようとすると、ぶつギレになってしまうこと。
そうした経験を何度か重ねると、情報を整理・推論・考察することと、それを表現することとの隔たりを、改めて認識しなおさざるを得ない。
「研究者」にとって必要なのは「研究」の能力であって、「プレゼン」の能力などではない、などとはもはや言えない時代であるのは言うまでもない。「プレゼン」が「研究」自体の評価に関わることは今や常識である。
プレゼンテーションという「表現=現れ」の世界(それは広い意味での「政治」の世界でもあるのだが)に、われわれが住まうことを、自戒を込めて、再確認した次第である。
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いやー、プレゼンもさることながら、講義もタイヘンだよね。俺の場合、最初のうちは講義ノートをばしっと作らないと心配でしょうがなかたよ。いまではレジュメみながらしゃべれるようになったけどねえ。
投稿: sibainu5号 | 2005/03/01 16:41