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2005/02/05

政治における「腐敗」と「偶然性」

偶然世界 (1977年) (ハヤカワ文庫―SF)
小尾 芙佐
B000J8U3PK

(フィリップ・K・ディック『偶然世界』を読む)
「権力は腐敗する傾向にある。絶対権力は絶対的に腐敗する」というアクトン卿の警句は、「法則」というものとは無縁の政治学の領域において、誰もが首肯しうるテーゼと考えられてきた。古今東西の政治の状況を見渡せば、このテーゼを証明する証拠に事欠くことはない。アクトン卿のこの警句(正確には、1887年4月5日に英国教会主教となるクライトン(Mandell Creighton)へ宛てた手紙の中で表明されたテーゼ)の事例に出しているのは、中世におけるローマ教皇の行状であるが、西欧の近代市民革命の背後には絶対王政における恣意的な政治が存在していたし、また市民革命の後には「選挙」という新しい政治制度を巡って「政治腐敗」が誕生することになった。むろん今日でも、この「政治腐敗」という問題が解消されないどころか大きな難問であることは論を待たない。

  ところで、こうした権力の腐敗を抑制するためのユニークなアイディアを提供してくれるのが、SF作家フィリップ・K・ディックの『偶然世界』(Philip K. Dick, Solar Lottery,1955)である。この作品では、「偶然性」の制度、すなわち「籤」によって、政治腐敗の抑制を行うシステムが提示されている。このディックが描く未来社会では、各個人は「パワー・カード」と呼ばれるIDカードを所有しているが、それは同時に「くじ」としての役割を備えており、そのカードのナンバーに応じて――何十億分の一という確率ではあるが――全地球はおろか9惑星で最高の権力者になる可能性が個々人に開かれている。権力の転移は「ボトル」と呼ばれる装置によってまったくランダムに行われるため、誰も「絶対権力」を保有することはできず、それゆえ特定の権力者に贈賄を行うという戦略は意味を失うことになる。

 つまり、権力者が多額の賄賂を要求し、権力への接近を試みる者がそれに答えるべく贈賄を行ったとしても、翌日には当該の権力者が失墜している可能性が存在するため、一部の者が私的利益のために公的リソースを用いるという選択は原理的に閉ざされているのである。

 しかしながら、最高権力者が全くの偶然によって決定されるとしたら、およそ支配者としての能力、すなわち合理的判断力、決断力、組織力、先見性、リーダーシップなどを全く持たない人間までもが政治の舞台に担ぎ出され、健全な政治運営など行えないのではないのか。血縁による「伝統的支配」が往々にして直面してきた問題、すなわち「無能者の支配」という問題を、この偶然性が支配する社会も抱えこんでいるのではないのか。こうした疑問に対する応答として、作品では「挑戦方式」というユニークな制度が登場する。すなわち、最高権力者を殺害する法的権利を与えられた暗殺者が選抜され、この公的暗殺者によって無能な権力者が淘汰される仕組みになっているのである。この「挑戦方式」で選出される暗殺者は一度に一人で、組織的・集団的には権力者を合法的に打倒することはできないが、暗殺が成功するか権力者が政権を譲渡するまでは、永遠に暗殺者が選出されるようになっている。この「挑戦方式」の存在意義について、作品の中では以下のように語られている。

「なぜ挑戦方式が存在すると思います? ボトル機構はわれわれを守るためにあるんです。気まぐれに抜擢し、あるいは蹴落とし、ランダムな間隔でランダムに人間を選び出す。誰も権力をひとりじめにすることはできない。自分の地位が来年、いや来週にはどうなるか誰にもわからない。誰も独裁者になろうとしてもなれないんです。原始よりも小さい気まぐれな微粒子が権力の行く先をきめるんです。挑戦方式はわれわれを守ってくれる。無能者から愚昧な人間から気違いから守ってくれるんですよ。われわれはまったく安全なんだ。暴君も狂人も存在できないから。」(56-57頁)

 暗殺というゲームの中で暗殺者の行動を予期して事前に防ぐだけの頭脳と、暗殺されるという恐怖を克服する強靱な精神力を持った人間こそが、権力者として相応しい。無能者や狂人が引き起こす政治的弊害を解消するものとして、「挑戦方式」という制度が描かれているのである。
(続く)

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