'05政治思想学会 (1)
日本政治思想学会が5月28日、29日、日本大学で開催された。
本年度のテーマは「近代日本と西洋政治思想」
以下はその要約とそれに対する小生の批評(なお、以下の要約は小生の理解によるものであり、報告者自身が意図したものと相違・誤解があるかもしれないことを付言しておきます)。
(詳しいプログラムなどについてはこちらを参照)
28日
・研究会1「ウェバー(研究)と近代日本」
報告者 野口雅弘 会員 「日本のウェーバー研究と欧米政治思想」
【要約+コメント】
・日本におけるウェバー研究の受容を、(1)歴史学派経済学(金井延、福田徳三)、(2)戦後啓蒙派(大塚久雄)、(3)日本近代化論(ロバート・N・ベラー)、(4)「ニーチェ的」(山之内靖)に区分し、それぞれの「普遍」の位置づけ・コンテクストが異なる点、とりわけ、(2)の大塚における「ウェバー=近代」が、(4)山之内において「ウェバー=脱近代」として反転している点を指摘したのは興味深かった。
・個人的には、「整理」はされているが、新しい知見となるものは読み取れなかった
時代状況で解釈が変わるのは良くあることであり、それが「大塚-近代」や「山之内-脱近代」という対立図式で整理できるのであれば、そこでウェバーを用いる意味が薄いような気がする(ウェバーを他の思想家に入れ替えてもこうした解釈図式で整理することは可能)。
こうした対立図式を「破壊する」もの(もしあるのなら)――例えば、大塚における「神々の闘争」への言及などが既に山之内の議論を先取りしていたetc. ――への「驚き」があれば、ウェバーの受容をいま論じる意義があるのかもしれないが…………。
・それと、時間や紙幅の制限のためかもしれないが、近年のウェバーの方法論自体をめぐる問題(羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの犯罪』、並びにそれに端を発した羽入-折原論争……これについては、
http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Japanese%20Home%20Index.htmを参照)が言及されていない点は少し気になった。「Weber Industryに自閉しない」という姿勢は賛同できるが、その Industry をシニカルに記述するというのも一つの「受容」の記述として意義があると思う。
研究会2「イギリス政治思想と日本」
報告者 関谷昇 会員 「日本における近代社会契約説研究の展開とその意義」
【要約】
・戦後日本における社会契約論の受容が、戦前の全体主義体制への批判から、新たな政治社会を建設しようとする姿勢(「個人主義的主体論」)に支えられていたこと、それは福田歓一の契約論(①個人=主体論、②所与性からの切断、③大陸自然法学との切断という独自解釈)に理論的に準備され、松下圭一において実践化への展開が行われていること。
・福田流の「個人主義的主体論」的解釈は、①「契約論」に付随する「義務論・神学」を重視する研究(A.E.テイラーetc.のホッブス研究、J.ダンのロック研究)、②政治的人文主義(ケンブリッジ学派etc.)からの批判にさらされ、また③ロールズによる「正義原理-規範理論」において、その「構成原理-主体性論」とは異なる社会契約論の展開が行われていること。このような福田-社会契約説は、思想史研究と政治哲学との架橋において、歴史内在的にも原理的にも成功していないこと。
・しかしながら、こうした福田-社会契約説の問題は、「文化創造の自覚的論理」という(福田自身があまり意識しなかった)論点においてヴァージョンアップ可能であること、
つまり、「断絶した個→社会契約」という「構成原理」としてではなく、「社会的な関係性での中で無限の自己解釈」という「制約的-批判的原理」として社会契約論を捉え返すことができること。
【コメント】
・福田に典型化される戦後日本の社会契約論の孕む陥穽を指摘した点は、至極妥当だと思う(というか、今は既に遅すぎた批判なのかもしれない)。
・ただ、その「文化創造の自覚的論理」による「乗り越え」が果たして可能かどうかはよく分からなかった。というか、「構成的原理」ではなく「批判的原理」に今日の社会契約論の意義を認めるならば、なぜロールズ以後ではなく福田の議論が必要となるのかが分からなかった。報告者は、ロールズ的社会契約論へのポスト・モダニズムからの批判も熟知しており、その文脈からすると、その「ロールズ以後」も踏まえた上で、福田社会契約論の可能性を示唆しているのかもしれないが、そこで論じられる「文化創造の自覚的論理」なるものの内実は、不明瞭であるように思えた。
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