見田宗介『社会学入門――人間と社会の未来』岩波新書、2006年
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・言わずとしれた社会学の泰斗による社会学入門書だが、見田先生自身の問題関心の展開(〈死とニヒリズムの問題系〉と〈愛とエゴイズムの問題系〉)が示され、単なる「入門書」以上のものとして、興味深い内容となっている。
・本書の結論部分(と思われるもの):補 交響圏とルール圏――〈自由な社会〉の骨格構成―― p.167--201)を要約すると、
①個々人の〈魂の自由〉あるいは、「それぞれの主体にとって〈至高なもの〉」を相互に解き放つような「社会」の形式を、構想すべきであること。
②「他者」を「積極的・消極的」という両義性をもつものとして捉え、
(a)「積極的他者=充実した生に必要不可欠な他者=コミューン圏」
(b)「消極的他者=社会の全域を覆う他者=ルール圏」
と定式化すると、①で構想されるべき「社会」は、(a)と(b)とが重なり合う重層的なものとして理解されるべきであること(=「交響するコミューン・の・自由な連合(Liberal Association of Symphonic Communes)」)。
・こうした結論は、大部分において首肯しうるものであると小生は思うが、興味深いのは、こうした構想が、若手の社会学研究者(大澤真幸、東浩紀、宮台真司など)の議論と共鳴している(ように読める)、という点である。
例えば、大澤氏・東氏らは、価値自由なインフラの発達(端的に言えば監視インフラ)を前提とするリバタリアニズムの上に、価値を共有するコミュニタリアニズムが乗っかかるような形で、現代社会が構築されつつある(例えば、ゲーテッド・コミュニティ)点を指摘している(東浩紀・大澤真幸『自由を考える:9・11以降の現代思想』、東浩紀(編)『波状言論S改:社会学・メタゲーム・自由』)。こうした重層的なかたちのでの「社会」の把握が――その理論における位置づけは異なるものの――ほぼ同型のものであるのは、非常に興味深い。
・また、「領域横断性」や「知の越境性」それ自体を目的とするような、昨今の学知の風潮に対する以下のような戒めは、あらためて耳を傾けるべきものであるように思えた。
「『領域横断的』であること、『越境する知』であることを、それ自体として、目的としたり誇示したりすることは、つまらないこと、やってはいけないことなのです。ほんとうに大切な問題をどこまでも追求していく中で、気がついたら立て札を踏み破っていた、という時にだけ、それは迫力のあるものであり、真実のこもったものとなるのです。」(8-9頁:強調は引用者)
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