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2006/11/23

レオ・シュトラウスとハンナ・アーレント(1):隠された「対話」?

 レオ・シュトラウスは(Leo Strauss)、ドイツからの亡命ユダヤ人政治哲学者。1899年生-1973年没。主著として『ホッブスの政治学』(1936→1952)『自然権と歴史』(1953)『リベラリズム:古代と近代』(1968)などがある。

 ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)は、ドイツからの亡命ユダヤ人政治哲学者。1906年生-1975年没。主著として『全体主義の起源』(1951)『人間の条件』(1958)『革命について』(1963)などがある。

 レオ・シュトラウスとハンナ・アーレント。この二人の政治哲学者が、ユダヤ人亡命者としてドイツからアメリカに渡り、戦後アメリカ政治思想の展開に重大なる寄与を行ったことは、多くの政治学研究者によって知られている。

シュトラウスあるいはアーレントに携わった研究者は、問題関心や思想的ツールを共有しているこの両者の間に、知的交流がほとんど存在せず、異様な沈黙が保たれていることの意味を理解している。すなわち、両者ともに、ドイツ時代にマルティン・ハイデガーから多大な知的影響を受け、「近代性 modernity」批判から古代ギリシャの「政治」と「哲学」への思索に赴くなど、思想的モチーフを多く共有しながらも、相互の言及がほとんど行われていないこと、そして、そのある種の沈黙は、両者がある時期において同じ大学の同僚であったことを考えると異様に思えるものの、それはドイツ時代において両者の間に生じたとされる「ゴシップ」に由来しているであろうことから、その沈黙の蓋を穿り返すのはある種のタブーであるように思われてきた。

ハンナ・アーレントの伝記を編纂したブリューエルは、以下のようなエピソードを紹介している。「シュトラウスは、ユダヤ学高等専門学校の研究助手だったが、プロイセン国立図書館でアーレントと出会い、懸命に言い寄ろうとした。彼女が彼の保守的政治観を批判し、その求婚を斥けたとき、彼はひどく怒った。その苦々しさは何十年も続き、二人が1960年代にシカゴ大学の同じ学部で一緒になったときにいっそう悪化した」ブリューエル『ハンナ・アーレント伝』(153頁)。このような批判の中でも、アーレントにおいて見過ごせなかったのは、戦後ドイツに対する対応であったとされており、「ユダヤ人は戦後になってもドイツに関わるべきではない」というシュトラウスの主張に、アーレントは強く反発していたらしい。

このような中で、「ゴシップ」を一旦棚上げして、アーレントとシュトラウス両者の思想的共時性に光を当て、一定の成果を提示したのが、アーレント『カント政治哲学の講義』を編纂したロナルド・ベイナーである。

ベイナーは、両者の政治的・思想的境遇の近さを踏まえた上で、アーレントが自著の中でシュトラウスへの隠れた応答を行っている、と興味深い主張している。(Ronald Beiner, Hannah Arendt and Leo Strauss: The Uncommenced Dialogue, Political Theory, vol.18, no.2, 1990: 238--254.)。

例えば、アーレントは『人間の条件』において、政治哲学のプラトン的伝統の過ちとして、「活動的生活」(vita activa)に対する「観想的生活」(vita contemplativa)の優越性、そして前者の後者への置き換えという問題を強調しているが、その際にそれとは正反対となるシュトラウスの見解、すなわち、「観想的生活」の優越性を強調しプラトン哲学の復権を主張していたシュトラウスが想定されていないとは到底考えられない、とベイナーは指摘している。

ベイナーは、この「活動的生活」と「観想的生活」、「政治」と「哲学」との対置それ自体が、ニコロ・マキャヴェッリからジャン=ジャック・ルソー、フリードリヒ・ニーチェを経て、マルティン・ハイデガーに至るまで西洋思想において反復されていることを踏まえながら、両者の最大の対立点である、古典古代の「哲学」(シュトラウス)か、あるいは「政治」(アーレント)か、という対立構図を精緻に分析する。

その際にベイナーが両者における相違点として注目するのは、第一に、「近代の危機の要因」に対する見解の違いであり、第二に「哲学者」と「非哲学者」との関係についての認識の隔たりである。すなわち、シュトラウスにおける「近代の危機」とは、古典古代の叡智の忘却に起因するものであるのに対して、アーレントのそれは「触知できる事件」――望遠鏡の発明や修道院用地の収用、スプートニクの打上――に関わるものであって、政治的事件としてのファシズムの到来は、西洋思想史を参照するだけでは決して理解しえないものであるという点に、根本的な対立が存在するとしている。また、シュトラウスが、「哲学者 philosopher」「人士 gentlemen」「一般市民 vulgar」という知的能力の自然的不平等性を提示して、それをある場合には「政治」の秩序に反映させようとするのに対して、アーレントが「哲学」と「政治」との不可通訳性をを強調し、「自然」における人間の不平等性を「政治」において平等化させるモデルとしてギリシャ・ポリスを同定させている点に、深い対立点があるとしている。

こうしたベイナーによる研究は、アーレント・シュトラウス両者の比較と論点整理をしたものとして優れたものであるが、しかしながらそれと同時にその限界を提示している、と小生は考えている。それは、アーレントが「正しく」、シュトラウスが「誤っている」という、ベイナー自身のある点でアーレントに傾斜した見解にあるのではなく、両者の比較研究という興味深い部分に光を当てながらも、主としてベイナー自身のアーレント解釈――アーレントにおけるカント『判断力批判』解釈を重視し、カントと親和的なアーレントのテクストを重視する解釈――に関わる領域においてしか、問題の設定と回答が行われていない、という点にある。 (続)

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コメント

あと気になるのはE.Voegelinですね!
アレントはともかくC.シュミットを含めたこの3人は丸山真男が紹介したやうなものですが。

あがるまさん、コメント有り難うございます。
仰る通り、フェーゲリンはシュトラウス-アーレント二人の差異を見る際のキー・パーソンだと思います。それだけに、シュトラウス-フェーゲリン、アーレント-フェーゲリンには書簡応答や公開討論があるのに、シュトラウス-アーレントにそうした「対話」がないのは一層気になります。

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