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2007/01/11

新保守主義(ネオコン)とは何か(2):シュトラウス派をめぐる問題

 「新保守主義」と「シュトラウス派」の関係について――主として Shadia B. Drury, The Political Ideas of Leo Strauss, updated edition, Palgrave Macmillan, 2005. の書評。

 近年においては、レオ・シュトラウスの「政治哲学」と、その「政治的影響力」との相関性についての研究が注目されている。所謂「シュトラウス派 the Straussian」と呼ばれる知的サークル――シュトラウスから直接的・間接的に薫陶を受けた大学関係者、知識人の集団――が、「新保守主義 neoconservatism」と呼ばれるアメリカの思想潮流の形成に深く寄与し、その一部が共和党政権下において政策形成(とりわけ外交政策)において知的イニシアティヴを握り、アメリカの政治状況を「危うい」ものへ誘導している、とされている。

 リベラリズム批判を展開した『アメリカン・マインドの終焉』を記して、レーガン大統領から賞讃されたアラン・ブルームはその門弟として有名であるが、その他にシュトラウスの影響を強く受けたハリー・ジャファは、自然権やアメリカ創設など学術的な面でシュトラウスの思想を継承すると同時に、共和党大統領候補者ゴールドウォーターのスピーチライターとして保守政治の復権に寄与した。またさらに、コーネル大学時代にブルームに、シカゴ大学時代にシュトラウスに師事した、ポール・ウォルフォウィッツは、「アメリカ新世紀プロジェクト」(the Project for the New American Century)の創設メンバーの一人として「新保守主義」の政策構想に関与し、ブッシュ政権下で国防長官としてアメリカのイラク戦争遂行において主導的な役割を果たした。

 こうした「シュトラウス学派」の政治的影響力の「危うさ」を告発し、それを単なる亜流的継承としてでなく、シュトラウスの思想それ自身に内在するものとしてその再構成を行った代表的研究者が、シャンディア・B・ドゥルリーである(代表的研究に、The Political Ideas of Leo Strauss, updated edition, Palgrave Macmillan, 2005. Leo Strauss and the American Right, St Martin's Press, 1999.)。

 ドゥルリーは、古代ギリシャ哲学の静謐な解釈者というシュトラウスに対する一般的理解が表層的なものであるとし、急進的でニヒリスティックなポストモダン的保守主義者としての姿こそ、真のシュトラウス像に他ならない、と主張する。シュトラウスは「公教的/秘教的」(exoteric/esoteric)という解釈手法――一般に流通している解釈と、それとは異なるより深く根源的な解釈――を重視し、それに基づく西洋哲学の再構成と刷新を企てたが、その「公教的/秘教的」という解釈手法をシュトラウス自身にも適用することによって、「公教」としての静謐な研究者としての姿の背後に、「秘教」としてラディカルな保守主義者としての姿が顕わになる、とドゥリーは論じている。

ドゥルリーに拠れば、その「秘教」の中核となるのは、①統治エリートのカルト的育成と、②シニカルなニーチェ主義、である。

 ①シュトラウスにおいて問題なのは、そのエリート主義や反民主主義それ自体ではなく、「……尊大で無節操な偽りのエリート――法の支配、道徳性、一般市民、そして誠実さを深く嘲るエリート――を育成したこと」(p.xiii)にある。シュトラウスは、「哲学者 philosopher」「人士 gentleman」「民衆 vulgar」という三つの階層区分に基づく統治が、古代ギリシャ哲学、とりわけプラトンの政治哲学において自然で理想的なものであったと言述するが、これはドゥルリーに従えば、「賢人による秘密の専制 covert tyranny of the wise」を現代において志向するものに他ならない。つまり、実際に支配を担う「人士」に対して「哲学者」が「高貴な嘘」の用い方を教え、支配の対象としての「民衆」を操作することの政治的必要性、そのことこそがシュトラウスが古代哲学に仮託して主張していることであり、そしてその「人士」や「哲学者」といった役割を担うエリートの育成こそ、シュトラウスがそのカルト的サークルにおいて行ったことであった。

 ②そうした尊大で紛い物エリートの養成は、シュトラウスのニーチェへの評価に基づくものである。一見すると、シュトラウスのテクストはプラトン賛美・ニーチェ批判を行っているように見えるが、実際には、シュトラウスが訴えた古代ギリシャ哲学は、ニーチェのフィルターを通じて受容したものである。人間の生において「真理」という「神話」が必要とされ、政治においては「高貴な嘘」が要請されること、そしてその「神話」の自由な創造者こそが「哲学者」であること、要するに、あらゆる共同体の法や秩序の制約を超越して「神話」を創作する者こそが「哲学者」であり、それこそニーチェが語った「超人」であること、こうしたことこそシュトラウスがニーチェから吸収したことであり、その政治哲学の本質に他ならない。

 ドゥルリーは以上のようなシュトラウスの「秘教」こそが、イラク開戦とその後の泥沼の内戦――「終わりなき戦争」をもたらしたアメリカ外交を大きく規定したと主張する。ドゥルリーは、シュトラウス派と新保守主義との関係が複雑である点を踏まえながらも(例えば、新保守主義と名指しされる者が必ずしもシュトラウスを読んでいないこと、読んでいても理解していないことに触れている)、大量破壊兵器めぐる虚偽報告などは「高貴な嘘」の典型であるとして、シュトラウスの「秘教」とその信奉者たるシュトラウス派の政治的影響を問題視し、告発している。 (続)

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