2007年度第14回 日本政治思想学会「国家を再考する」(1)
・2007年度日本政治思想学会が、明治学院大学で開催された。以下は「研究会1ティランーついて」での報告の(私が理解する範囲の)要約とコメント。
研究会1「ティラニーについて」
名和賢美 会員「古代ギリシアにおける僣主政概念の成り立ち」
【要約】
・テュランノス(turannos)という古代ギリシャ語は、元々外来語であり、王政の後で発生した単独統治の形態を指示する用語であること。
・テュランノスという用語は、批判的な文脈のみならず、ある場合は羨望の言葉として、ある場合には、神々や英雄の力をイメージする言葉として用いられていたこと。
・ハンマー(Hammer,D.)にれば、僣主政・民主政以前に、「プレビサイド政治」とでも呼ぶべき「民衆の喝采=承認による政治」が存在していたこと。
・僣主政の出現は、これまで言われてきたように、王政→貴族政→僣主政→民主政という政体変動の一つとしてではなく、「民主政の実験室」として捉える必要があること。つまり、閉ざされた王宮統治型ではなく、僣主政も民主政も新たな公共空間の出現を前提にしたものであること。
【コメント】
・討論者 石崎嘉彦 会員 のコメントで一番興味深かったのは、語源分析的研究が、現在の政治思想分析とどう結びつくのかという、(ある意味直球の)ものだった。
⇒名和会員の回答は、「デモクラティア」という用語発生以前の、「デモクラティック」な統治形態を表象する用語を分析することが、思想史的に意義があるのではないか、というものであった。これは全くその通りだと感じた。
・フロアからの質問で一番興味深かったのは、「喝采=承認」とは逆の人気投票「オストラキスモス」とプレビサイド政治との整合をどう捉えるか、というものであった。名和会員によれば Hammerにはそれについては明解な説明が行われていないとのことであった。
・私自身、古代政治を少々研究した関係で、勉強となる点が多々あった。ただ何点か疑問点(私の研究関心と重なる問題)も感じた。
・「プレビサイド政治」とはどの程度の幅の政治現象を指すのか(これは Hammerの研究を読んでみないことには何とも言えないのだが)。例えば、フィンリーは『オデュッセウスの世界』で、ポリス成立以前の王権が、唯一支配でも世襲制でもなく「対等な者の中の第一」として、共同体の承認を常に必要としていたことを指摘している。その際に、民衆は王に「民意」を喝采などで示すことができるが、王は必ずしもこれに従う必要は――掟(テミス)上は――なかったとされている。 こうした(ミュケナイ的王政とは異なる)ホメロス型王権と「プレビサイド政治」とはつながるのか、別物なのか。
・「プレビサイド政治」の指標とされる「ロゴスをメソン(中央・中間)に置くこと」は、、ギリシャ研究者ヴェルナンの研究(参考文献に挙げられながらあまり強調されてなかったが)から影響を受けていたように思えた。ヴェルナンは『ギリシャ思想の起原』で、「階層秩序」とは異なる「求心的秩序」がポリスという社会原理において重要であった点について言及し、城壁を廻らせ閉ざされた王権-王宮と、開かれたギリシャ・ポリスのアゴラとを対比している。「ギリシャ人は、ある議論、決定等について、それをエス・ト・コイノン(公共の場に)持ち出さねばならぬといい、またアルケ自体について、それがエス・ト・メソン、すなわち中央・真中におかれているというであろう」(44頁)。こうした話を Hammerが下敷きにしているのか、それとも全く別ものなのか、個人的に関心を抱いた。
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