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2007/05/06

インターネットと政治についての雑文

 今年の夏は、参院選の総選挙が行われるようである。政治について考える仕事で末席を汚している者でなくても、現行の選挙制度、とりわけ選挙演説カーによる選挙運動は、どうにかならないかと思っているのではないだろうか。世界・社会が変動する中、選挙演説カーによる選挙運動が変わらないのは一つの驚きである。街頭や駅前のみならず、住宅密集地や狭い路地裏までくななく入り込んでの「訴え」が、単なる「騒音」でしかないこと、そしてそのコストが公費で賄われていることには、選挙がある度に苛立ちを感じる。

 4月行われた地方選挙では、私の住む板橋区においては、定数46人の区議会議員枠に60人が立候補した。その結果、選挙期間中でひどい時には一日中この騒音が聞こえてくる有様だった。やめて欲しいと思っているのは、やはり私だけではないらしく、同じようなことを考える人がいるようである。この辺は、公職選挙法を改正して、移動しながらの拡声器を使った選挙運動を禁止するだけでもかなり違うように思う。

 毎回疑問に思うのは、なぜこうした「○○をよろしくお願いします」という単なる名前の連呼や、あるいは「○○は……をします」という無内容な訴えが、「政治運動」として成立しているのか、ということだ。名前を連呼するのは、「知らない人」に投票するよりも、「聞き覚えのある人」に投票しやすいという心理学によるものらしいが、それも有権者をバカした話である(私の場合は逆に選挙カーで名前を聞いた立候補者は記憶して、逆に投票しなかった)。

 縁故や地縁ではなく、「政策」で評価を行うのが、近代政党政治の原則だと言われている。しかしながら、何が「政策」で争われているか、というのもまたよく分からない。区の選挙公報には、60人の立候補者の公約・実績・アピールが並ぶ。政党の公認を強調する者、その反対に無所属で「しがらみのなさ」をアピールする者。これまでの業績を強調する者、「若さ」を強調する者(板橋区議会当選者46人のうち、35歳以下が7人で、最年少は28歳)。だが、「何をどのように行うのか」という部分は誰もが同じようなことを言っており、その違いはよく分からない。そして同じようなことを言っていながら、記載された内容は、候補者の出した原稿をそのまま掲載しているため、候補者の「情報」を知るものとしては非常に読みにくい。正直言って、私はこの選挙公報を全部読んでいないが、一体どれだけの投票者がこうした公報誌を読んでいるのだろうか。そしてその断片的にしか分からない「政策」に従って、どの程度投票が行われているのだろうか。

  現在の選挙公報――紙媒体のもの、NHKでの政見放送など――を一種の「広告」として見るならば、非常に出来が悪く粗雑なものだと思う。選挙演説も「プレゼンテーション」として見ると、とても褒められたものではない。こうした状況に対して、インターネットや携帯電話などのメディアをより有効に活用できるように、投票者が候補者の政策をより理解できるような環境に整備することの必要性が提唱されている(例えば、宮台真司立花隆)。現行の公職選挙法が、「文書図画の頒布」という理由で、ネットの選挙活動を違法としているのはナンセンス以外の何者でもない。

 「政治学」という学問分野でどの程度こうした研究が進んでいるか、私はよく分からないが、つまらない政局分析などよりはよほど重要であると思う。私は「政治は何をしても変わらない」という悲観論にも、「インターネットが政治を根本的に変える」という楽観論にも立っていないが、しかしそれでも、「粗悪な」広告よりは「分かり易い」広告のために、ネットの活用法は多様にありうると信じている。

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