「正義とは何か」めぐる知の冒険――川本隆史『ロールズ 正義の原理:現代思想の冒険者たち』
![]() | ロールズ―正義の原理 (現代思想の冒険者たちSelect) 川本 隆史 by G-Tools |
・「正義とは何か」という議論は、しばしば空疎なお説教やレトリックに陥りがちである。プラトン『国家』で「なぜ正義をなすべきか」を問われたソクラテスでさえも、「不正よりも正義をなすことがよい」という持論では、トラシュマコスやグラウコンらを結局は説得できずに終わっている。
19世紀の「功利主義」の倫理学は、そうした袋小路を回避するために、「正義」を「快/不快」の関数で経済学的に捉えることから生まれた。そしてその「功利主義」的発想を批判することから、20世紀の現代倫理学、とりわけJ・ロールズの思想がはじまった。川本隆史『ロールズ 正義の原理:現代思想の冒険者たち』(講談社)はこのロールズの思想を『正義論』を中心として紹介した名著である。
・本書は概説書や入門書にありがちな「思想形成と時代背景」の要約に終わらず、また「ロールズはこれだけ偉かった」という信者のドグマ化に陥ることなく、現代社会における「正義とは何か」という問題を具体的なものとして考える端緒として卓越している。
・ロールズの『正義論』は、その問題関心の多様さと分量の膨大さ、そして1979年版の邦訳があまり良くないということもあり読みやすいものではない(現在新しい翻訳が進行中らしい)。凡庸な解説書は、その膨大な『正義論』の叙述を踏みはずさまいとして、逆にその議論自体が散漫となり思想を表層的に辿るものが多い。本書はそうした散漫さ・浅薄さを回避し、ロールズの思想の根幹をシャープに説明するのに成功している。
・そうした成功は、一見遠回りに思える『正義論』に結実するまでのロールズの思考の軌跡を辿り、その問題関心を事前にクリアにすることによってもたらされている、というのが率直な感想である。「功利主義的な正義論批判」「倫理の決定手続きの妥当性」、そして社会経済的不平等に対する「分配の正義の復権」という文脈があって、『正義論』での社会契約論のリニューアル、「公正 fairness としての正義」の構想があること。そうした「ロールズの思想の物語」が「アメリカ社会の正義をめぐる物語」とパラレルに語られる点にも、本書の巧みな構成となっている。
・単なるロールズ研究に留まらない川本氏の問題関心を知るには『現代倫理学の冒険』(創文社)も良い本だろう。ここでの現代倫理学の見取り図――功利主義、リベラリズム、リバタリアニズム、共同体論、フェミニズム etc. ――は簡明で参考になる。私は「なぜ人を殺してはいけないか」を問い、ありがちなルサンチマンの倫理学を粉砕する永井均氏のニーチェ論も好きだが、本書はまたその対極にある現代倫理学の書として読まれるべき価値があると思う。
・川本『ロールズ 正義の原理』では度々、「複数性」という言葉をキーワードにして、ハンナ・アーレントとロールズとの関係性についても言及されている。しかしながらこれは現在の視点からの過度な読み込みではないだろうか。確かに両者は同時代人として、公民権運動やベトナム反戦運動などアメリカの正義が問われた時代を過ごした。両者はキリスト教倫理の復権にもポストモダン系の空疎なレトリックとも遠い地点で「正義」を論じた点で共通性はあるだろう。しかし管見の限りではアーレントがロールズの言説を意識していた形跡は見受けられない。ロールズがリベラリズムの方向性を強く打ち出したのに対して、アーレントはリベラリズムにも共同体論にも帰属しなかった。そうした点で、アプローチの仕方自体にも大きな隔たりがあるように思える。
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