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2009/05/10

ポストモダン≒保守主義の政治?――杉田敦『政治への想像力』を読む

政治への想像力政治への想像力
杉田 敦

by G-Tools


・本書は、郵政民営化や憲法改正論あるいは格差社会論など、政治の時事問題を扱った評論集であるが、その多様な時事問題に対する著者のスタンスを一言で言えば、「分かりやすく透明な政治」に対して警鐘を鳴らすというものでる。

・「ポストモダン」の政治思想なるものが、リアルな「政治」を語る言葉の貧困にあることは20年前以上も前から指摘されてきた(例えば、見田宗介「「政治」と〈政治〉の間」『現代日本の感覚と思想』)。「ポストモダン」は多様な〈政治〉や〈権力〉の所在を、パノプティコンやら、アイデンティティ/差異の政治やら、法の原初にある根源的暴力やら華麗な分析装置を用いてエレガントに語ってきたが、それがリアルな「政治」(テロリズムや経済格差など)に向き合うと失語症のような状況に陥っているように思えてならない。著者は「ポストモダン」を踏まえながらも、なおかつこうしたありがちな失語症に陥ることなく、単なるリアリズムにも理想主義とも異なる立場から「政治」のリアルな問題に対する考察を展開している。

・著者の言う「分かりやすく透明な政治」とは、安易な二分法で政治を論じるスタンスを指す。例えば、小泉郵政改革以後に顕著となった、官/民、市場/国家、改革派/守旧派といった単純な構図はその代表的なものである。むろんそれは最近のものではなく、友/敵、われわれ/彼ら、正義/不正義など、有史以来の「政治」の思考様式を支配してきたものでもあった。そうした「/」の境界線の設定自体が自明なものではない以上、この二分法的思考様式に囚われずに問題それ自体を慎重に吟味する必要があると説いている。

なぜ安易な二分法による「分かりやすく透明な政治」がウケたのか。それは「政治」のプロセスが不透明であったことへの反動であると著者は語る(56頁)。派閥の談合からなる自民党の不透明な政治、それを破壊して「透明な政治」を目指したのが小泉郵政選挙であったという。「郵政にyesかnoか」という争点の単純化は、なるほど「政治」を分かりやすいものにし、多くの関心を呼び起こしたかもしれない。しかしそのそうした疑似国民投票的な仕方で「分かりやすく透明な政治」が台頭し、複雑な政治過程を過度に単純化しようとする風潮に対して著者は危惧を抱いている。


・小泉劇場のあとの安部政治も、誠実な政治への回帰などではなく、小泉政治の市場主義とナショナリズムの「劣化コピー」であるという表現は、誰もが感じていることを言い当てた卓越した表現であると感じた(「複製時代の政治」57頁~)。


・以上のような著者の議論には示唆に富む点が多く、首肯できる点もある。しかし敢えて以下のような異論を提示したいと思う。
 (a)確かに「市場/国家」の安易な二分法は批判されるべきであるが、近年ではその二分法自体が広く相対化されつつあるのではないのか。時事評論とのタイムラグと言ってしまえばそれまでだが、「官から民へ」(あるいはその逆)を素朴に主張する「信者」自体が少数派なのが現状ではないだろうか。

(b)著者は自身を「(日本の論壇的な文脈でなく)本来の意味での保守主義者、つまり漸進主義者」であると規定し(82頁)、革命はむろん大規模な変化に対しても批判的な態度を取っている。この点は冒頭でアメリカ大統領選挙に触れた点でも顕著であり、「リーダーが魔法のように問題を解決してくれることへの期待」に対して警戒感を示す。だが保守主義で漸進主義的であること自体が、現状をさらに悪化させる、ということも政治的によくある風景である。意地悪く言えば「前向きに検討します」という官僚的な答弁もまた保守主義で漸進主義的ということになるのではないのか。

・政権や首長が交代することで何かが大きく変わることに懐疑的であるという立場も必要であるのかもしれない。では、どのような変革や変化が望ましいのか。何かを批判する者は、その代替案となる処方箋を絶対記す必要があるとは私は思わない。ただ「両義性」という便利な言葉を用いずに、ポジティヴな変革の語りについてもどこか別の機会に知りたいと思った。

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コメント

一般人だが政治学科卒。公共団体の中で政治と格闘。岡崎晴輝先生やもちろん石田雅樹先生も参加され、執筆されている「はじめて学ぶ政治学―古典・名著への誘い」からこのサイトに到着。杉田敦先生の、ひと続きに流れ、渦巻くような文章は好きである。さて、「政治への想像力」。『じゃ、どうすればいいの?』に対する応答はたぶん『政治への想像力で。』ということだと、私は理解した。一般人からすれば両義性の両極を叩くというのだから簡単ではない。『想像力へのヒント集』である。ところで、なぜ地方自治の現場が大統領制なのか?政治は陣取り合戦でなく、同じ陣地に何かを描くもの・何かを形成するもののような気がするのは気のせいだろうか?さらに、法の支配とは多数の支配なのだろうか?この辺を素人なりに研究していきたい。

cafe au lait さま。コメント有り難うございます。「政治は陣取り合戦でない」という視点は、重要であると思います。私は地方自治や地方行政には疎いのですが、やはり抽象的な政治思想を政治の具体的なゲンバから考えるというスタンスは大切であると思います。

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