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2009/11/19

『公共性への冒険:ハンナ・アーレントと《祝祭》の政治学』(勁草書房)を上梓しました。

・Amazonの発売日が11/18日になっているようですが、書店にも今週中に並ぶようです。「ハンナ・アーレントが言う“政治”や“公共性”って、一体何なの?」「それって現代社会でどのような意味があるの?」という素朴な疑問を念頭に、アーレントの思想を《祝祭》という視点から読み解いたものです。

公共性への冒険―ハンナ・アーレントと“祝祭”の政治学公共性への冒険―ハンナ・アーレントと“祝祭”の政治学

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以下「まえがき」より
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本書の目的は、アーレントの思想の全体像を体系的に整序することではない。むしろこうした渾沌とした解釈で忘れられがちな、その思想的根幹(と思われるもの)を再構成することにある。「保守/革新」「共和主義/リベラル」「モダン/ポスト・モダン」という両陣営に名前が登場するということは、逆を言えば「アーレント」という思想家でなくても語れることを彼女に語らせようとしてきた、と言えるのではないだろうか。あるいは「フェミニズム」解釈などに典型的なように、自己の政治的主張を裏づけるためだけに参照されてはいないだろうか。

アーレントを論じる上でしばしば(意識的に)忘却されていること、それは「活動」action や「公的領域」public realm といった用語で語られる「政治」が、ファシズムなどの危うい政治運動を排除しないばかりか、むしろそれと強い親和性を有するという点である。そしてアーレント自身がユダヤ人としてナチスの迫害を逃れてドイツからアメリカに亡命したことを想起するならば、そうした「政治」をなぜ構想したのかということは大きな「謎」として存在するのである。
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『人間の条件』などで論じられる「公的領域」が古代ギリシャ・ポリスを範にしたものであることはよく知られています。ですがその「ポリス≒公共性」を論じることにどのような意味があるのでしょうか? 例えば Seyla Benhabibなどは(おそらくハーバーマスの影響から)、この「ポリス≒公共性」を現代的文脈で論じることへの疑問から、『ラーエル・ファルンハーゲン』などに見られる「サロン≒公共性」モデルのほうを重視し、あるいは 「闘技(アゴーン)」agon よりも「物語」narrative の次元をアーレントの「政治」を論じる上で重視しました。しかしそのように「ハーバーマス化されたアーレント」とでもいうべきもので、見失われたものがあるのではないのでしょうか。

・本書は逆に、ファシズムにもつながりかねない部分にこそ、アーレントの「公共性」の意義があるのではないかという点を強調し、それを《祝祭》という用語で表現し、現代政治における意味を考察いたしました。
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ファシズムの政治運動をも内包するアーレントの「公共性」、ハイデガーの思想を媒介にして立ち顕れるその「政治」の姿を、本書では《祝祭》という言葉によって明らかにしていきたい。《祝祭》とはここではさしあたり「他者との共同性の成立あるいは解体の契機」としておくことにしよう。つまりアーレントの「公共性」の空間は、共和主義やリベラル・デモクラシー以前に、他者と「行動をともにする」際に現れるものであり、それは平和な市民運動と共に危うい大衆運動とも結びつくがゆえに、現代政治に対しても思想的な魅力を持つのである。
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・そのような点で、本書の基本的な問題設定は、川崎修先生の問題提起、なぜナチズムを批判するはずのアーレントの思想がリベラル・デモクラシーとは異質なものかという問題(川崎修「アレントを導入する」 『現代思想』1997年7月、111--127頁)の延長にあるのかと思います。ご関心の向きがございましたら、お時間のある際にご笑覧頂ければ幸いに思います。

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