第15回 政治哲学研究会――石崎嘉彦『倫理学としての政治哲学』をめぐって (1)
第15回 政治哲学研究会が、12月19日、早稲田大学の研究会と合同で行われた。
・石崎嘉彦 氏(摂南大学)「Heterogeneityの知について」
・中金聡 氏(国士舘大学)「レオ・シュトラウスのエピクロス主義について」
・村田玲 氏(早稲田大学)「石崎嘉彦『倫理学としての政治哲学』について――摘要と若干の指摘」
司会 飯島昇藏氏(早稲田大学)
部外者であったが、本書を書評をした関係で「他の人がどう読んだのか」関心もあったので、参加してみた。
・『倫理学としての政治哲学』については『図書新聞』で書評を書いたし、過去の記事でも言及したように、いろいろと疑問に思うところがあったが、ここでは繰り返さない。石崎報告にあるHeterogeneity「異種混交」とは、「同質的homogeneousな知」の反意を意味し、近代科学の合理性に還元され得ない、多様な学知の統合の在り方を指す。それは「科学が捨象した「価値」あるいは「倫理」を学の中に位置づけなおすこと」であり、また「『常識的な』市民の視点による『全体の知』の取り戻し」を意味するものである、とされている。
・偉い先生が書いた本の合評会ともなると、突っ込んだ討論など行われないこともままあるが、それは予想はいい意味で裏切られた。予想以上に、本書について真摯な議論・批判が行われていたのは、思いがけない収穫だった。
・例えば、村田氏は、綿密に『倫理学としての政治哲学』を読んだ上で、シュトラウスにはない石崎氏の「もともとの思想」(=ヘーゲルの「人倫的心術」としての「実直さ」)によってシュトラウスのテクストが読まれているとし、最終的には「看過し難きほど諸々の歪曲が不可避的に生じている」(ペーパー6頁)と指摘した。本書を丹念に検証した上でそうした批判を行った村田氏の真摯さには頭が下がった。そしてそうした批判に対して実直に耳を傾け、それを自分自身が気づかなかった認識として今後の課題としたいという石崎氏のスタンスにも好感を感じた(こうしたストレートな批判に対して、「俺の本にケチをつけるな」とか怒ったりする先生もたまにいるんですよね……)。
・ただそうした批判の在り方もあるとしても、やはり解釈や研究というのは、いい意味での「誤読」のようなものがあって、新しいものになるのではないかとも感じた。A・ブルームなどの「シュトラウス派」は、「シュトラウス」の教えを辿りながらも、そこには同時にアメリカナイズが影響を及ぼしていることは良く知られている。21世紀の文脈でシュトラウスを再読するというのは、その意味で建設的な誤読や歪曲が必要であるようにも思える……なんてことを聞いたらシュトラウスが怒り出しそうですけどね……。
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