「全体主義」というユートピア――伊藤計劃『ハーモニー』(早川書房、2009年)
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・伊藤計劃『ハーモニー』(早川書房、2009年)が今年度の日本SF大賞に選出された。非常に喜ばしいことであるが、同時にこの優れた作家さんが既に今年の3月に亡くなってしまったことが残念でならない。私見では『ハーモニー』が優れている点は、オーウェル『1984年』や、ハクスレー『すばらしき新世界』の所謂アンチ・ユートピア(ディストピア)のモチーフを用いながらも、オーウェルやハクスレーで曖昧にされた問いを先鋭化したことにあるように思う。その問いとは「人は全体主義の社会でも幸福に生きていけるのではないか」というものに他ならない。
・『ハーモニー』の世界は、ほとんどの「病気」が駆逐された超-福祉社会である。WatchMeと呼ばれる恒常的体内監視システムによって、個人のカラダが常に健康であるように保たれ、病気は即座に除去される。地域の医療崩壊やインフルエンザに震える現代社会からすると夢のような社会だが、逆を言えば個人のカラダは「公共的身体」としてパブリックなものとして監視される悪夢の世界でもある。酒、タバコはタブーとされ、カフェインも疎まれるこの窮屈な社会で、主人公トァンは過食と拒食という手段で抵抗を行うが、あるときに友人ミァハから「わたしと一緒に死ぬ気ある……」という「自由としての自殺」を持ちかけられる、というのが物語の冒頭となっている。
・著者は明らかにフーコーの「生政治」をイメージしているが、ここではユートピア/ディストピアの二重性という論点に注目したい。語源とされるトマス・モアの『ユートピア』自体が、このユートピア/ディストピアの二重性を有し、そこに作品の面白さがあることは、多くの人が指摘してきた(現代風に言えば、理想郷とは「ガチ」なのか「ネタ」なのか、という二重性)。この二重性は、その後のベラミーの『顧みれば』やモリス『ユートピア便り』などのいささかな退屈な未来社会論で失われてしまうが、20世紀においてオーウェルの『1984年』やハクスレー『すばらしき新世界』で中心的なテーマとして蘇った。『ハーモニー』はこの二重性を継承し、力強く推し進め、「全体主義≒ユートピア」の世界を鮮やかに描き出し、「人は全体主義の社会でも幸福に生きていけるのではないか」という問いを提起している。したがって本書は、「管理社会への警鐘を鳴らす」といった、ありがちな・陳腐な管理社会批判論に収まりきらない点にこそ、その醍醐味があるように思える。
・ハンナ・アーレントが『全体主義の起原』提起する「全体主義」の問題も、つまらない管理社会論で捉えられるものではなく、この「全体主義≒ユートピア」という問題を推し進めた点にその現代的意義がある、と私は思う。拙著『公共性への冒険:ハンナ・アーレントと《祝祭》の政治学』では、「「全体主義」のイデオロギーとなるのは、人種主義や階級闘争論だけではなく、ナチズムやスターリニズムに限定されるものではない。「悪い連中や余計な奴ら」を地上から一掃するというテーマ自体は、宗教的終末論のみならず、小説、映画、サブカルチャーなど多くの「物語」の中で使い古されたものとなっている」(94頁)と記した。この「小説、映画、サブカルチャー」の最も洗練されたものの一つが、この『ハーモニー』ではないか、と思う。伊藤氏の夭折を惜しむとともに、本書を優れた作品としてお勧めしたい。
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