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2010/03/14

「新しい公共」の何が「新しい」のか?――内閣府「新しい公共」円卓会議から

・鳩山首相が提唱する「新しい公共」の構想に基づいて、第1回「新しい公共」円卓会議が1月27日、第2回円卓会議が、平成22年3月2日に開催された。
 座長・金子郁容氏、他メンバーや内容については、こちらを参照。

「新しい公共」というが、その何が「新しい」のだろうか
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社会問題の解決はこれまで、ともすると、「政府か市場に任せる」、いわば、人任せになっていた。政府・行政や市場を通じての企業活動が重要であることは言うまでもないが、「新しい公共」を実現するには、それに加えて、当事者のひとりひとりがそれぞれの役割でかかわることで課題を解決するという「コミュニティ・ソリューション」を促進することが重要である。(第一回会議資料3)
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・大雑把に言うと、
 (a)行政・官僚が「公」を丸抱えするという(旧い)公共性モデル
 (b)「官から民へ」という公共性に市場原理を導入するリバタリアニズム
に対抗するものとしての、
 (c)国家にも市場にも属さない「市民参加・市民自治」を強調するタイプの議論のようにも見えるが、そうではないらしい。

・資料ではこれに続けて
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これは、単にボランティア活動や社会貢献活動というだけでなく、地域の雇用を創出し、新しい市場を生み、公正でコストが低く、満足度が高い社会が実現する。それによって「人間のための経済社会」にも寄与する事が期待される。
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とあるように、単にこれまであったような従来の「市民参加」礼賛論ではなく、経済活動や雇用も含めた地域社会に根ざした「公共性」を構築しようというものらしい。


・この際にキーワードとなるのが、social entrepreneurship 社会起業という言葉のようだ。2月18日の総理懇談会で招待されたビル・ドレイトン氏は、この社会企業の生みの親(アショカ)とされているし、またこの円卓メンバーにもその関係者が何人か参加している(ビッグイシュー日本代表・佐野 章二氏など)。


・このように志のあるNPO法人や社会的企業が実際に活動しやすいように、行政がサポートしようというのが、第二回の議論の流れになっている。
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提案1:認定特定非営利活動法人のパブリックサポートテスト(PST)の事後チェック化など
現状:2010年3月1日現在、認定NPO法人数は119(NPO法人総数39,217(1月末現在)の0.3%)

提案2:企業のCSR部署を“ファイヤーウォール化”した“企業内財団”の設置を検討する
現状:企業や企業で働く人も「新しい公共」の重要な一員。公益性の担保をしつつ、最近盛んになってきた企業のCSR活動をよりやりやすくする方策をとる。(第二回会議資料)
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・「公共性」という言葉を単に抽象的なお題目や陳腐な哲学にすることなく、具体的な政策提案とリンクさせて議論していることは非常に重要だと思う。とりわけ従来型の「市民参加」論では、ほとんど無視されてきた(あるいは敵視された)企業を「公共性」に組み込もうという試みも面白い。また文部科学省の鈴木寛副大臣が主導する「熟議による政策形成プロジェクト」(第2回会議28:00頃)も、すでにコミュニティ・スクール構想などでプラットフォームができつつあるらしいが、これもJ・ハーバーマスらの「熟議民主主義」を政策的に具現化したものと推察できる(「熟議民主主義」につていはさし当たり以下の田村哲樹『熟議の理由』を参照)。

熟議の理由―民主主義の政治理論熟議の理由―民主主義の政治理論

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・しかしながらそうした会議の意義を認めた上で、疑問に感じる点も多い。例えばNPOについては一応「パブリックサポートテスト」を行うことで、運営や経営が出鱈目なものを除外できるらしいが、それで「公共」の意義をどの程度測定することができるだろうか。端的に言えば、平和で建設的な活動をしている環境団体と、過激なテロ同然の団体とを「経営」の指標で判定することはできるだろうか。人権や環境などの錦の御旗――その中身も怪しいがそれを置くとして――は同じでも、企業から多くの寄付を得るために、建設的で地道な活動を行うよりも、過激な行動でアピールするという団体も見受けられる。


・「熟議による政策形成プロジェクト」についても、「熟議」が「よい公共性」を必ずしも担保するものではないことを確認する必要があるだろう(この点についても古くから言われていることであるが)。例えば、外国人地方参政権に賛成/反対、どちらがより「公共的」だと言えるだろうか。現場を知らない官僚のトップダウンではなく、ステーク・ホルダーである地域住民らのボトムアップで政策形成が行われるべきだというのは、理念としては同意できる。だがそれは地域のあらゆる問題を解消するものではなく、参加しコミットすることで、逆に地域の内部対立を深刻なものにするという悲観的なシナリオも考えられる。また「公共性」の名の下でのパターナリズム(青少年健全育成etc.)が、コミュニティを息苦しいものにしかねない、ということをも留意する必要があるだろう。


・企業の「公共性」についても、ローソン社長でメンバーである新浪氏が、ダボス会議を引き合いにして「金融資本主義からsocial market economy」へと(第2回47:00頃)気炎を上げているが、そうした大きな物語を描かなくても身近な所での「公共性」との接点はいくらでもあるような気がする。鷲巣 力『公共空間としてのコンビニ』では、すでに食生活や防犯などで地域生活にコンビニが不可欠となっている姿が描かれている。

公共空間としてのコンビニ 進化するシステム24時間365日 (朝日選書)公共空間としてのコンビニ 進化するシステム24時間365日 (朝日選書)

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こうしたものの延長として、例えば地方や都市部でのフード・デザート問題解消のために、コンビニだからこそできる試みがあるような気がする。その点で、本業=金儲け、副業=CSRcorporate social responsibility 企業の社会的責任、ではない、公益に資してこそ成長できるという点でメンバーで合意があった点は評価したい。ただ企業が潜在的失業者やら正規/非正規問題を抱えるなかで、どれほどそうした方向に進むことができるかはまだ不透明なところが大きいと感じた。例えば私がどこかの会社の社員で、普段の仕事で手一杯なのに、その上に「公共のために休日出てきてボランティアしろ」なんて言われたら、勘弁してくれよと思います(笑)。

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