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2010/04/29

「たたかう民主主義」は公共性の友か敵か――毛利透「自由『濫用』の許容性について」(『自由への問い:(3)公共性』所収)

・鳩山首相の掲げる「新しい公共」。「NPOのみならず、消防団やPTA、商店街、会社など多様な公共の担い手が、国や地方の政府とも連携、協力しながら、居場所と出番のある社会を作ること」が豊かな「公」を実現するという(鳩山首相4/26ツィッターより)。

・だがこの「新しい公共」の議論で根本的に欠落しているのは、「公共性」が孕む権力性・暴力性への認識である。みんなで仲良くハッピーなら「公共性」云々などそもそも不要である。多様で対立する意見・利害・思想から何を「公共」として取捨選択するのか、その取捨選択のアートこそが「政治」であることは子供でも知っていることではないのか。政治家ならなおさらこうしたアートに通じているだろう、「友愛革命」なんて実は「高貴な嘘」だろうと思っていたが、鳩山政権の迷走を見るとそうでもないらしい。そうなるとこの「新しい公共」の行方も怪しいように思える。

公共性――自由が/自由を可能にする秩序 (自由への問い 第3巻)公共性――自由が/自由を可能にする秩序 (自由への問い 第3巻)
阪口 正二郎

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・この「公共性」の孕む権力の問題の一つに、表現の自由に対する規制という問題がある。毛利透「自由『濫用』の許容性について」(阪口正二郎(編)『自由への問い:(3)公共性 自由が/自由を可能にする秩序』岩波書店、2010年.)は、この表現の自由と公共性の問題について、興味深い議論を展開させる。

・一般にナチス・ドイツ成立の一つとして、民主主義のために「たたかわなかった」脆弱なワイマール共和国が槍玉に挙げられる。価値相対主義の「何でもあり」の共和国はナチスを生み出す土壌となった、そして戦後ドイツはその反省から「たたかう民主制」を標榜し、「自由の敵には自由を与えるな」という立場を示してきた。民主的憲法に忠誠を誓うことがナチスと戦後ドイツとを隔てるものであり、逆を言えば憲法に忠誠を誓わない団体・個人は「自由の敵」として処罰・監視活動を行うことが正当化されたわけである。


・だが著者はこの「たたかわなかった」ワイマールという話自体が神話であったのではないかと説く。ワイマール共和国はけっして自らを攻撃する勢力や運動に寛大であったわけではない。むしろ刑法の内乱罪や「共和国擁護法」を活用し、「共和国の敵」に対して言論段階での監視や抑圧を行っていた。要するにワイマールはかなり頑張って「たたかって」いたのだ。

・だがその「敵」として名指しされたのは、もっぱら共産主義勢力であり、保守的な当局はナチスを含めた右翼団体にはその認定を甘くした。このことは結果的に、①共産党と社民党との左派の連携が絶たれることで宿敵ナチスに利をもたらし、さらに②共和国末期に政権入りしたナチスが政敵を「共和国の敵」として弾圧するという悪夢を生み出すことになった。


・著者は「自由はなされよ、たとえ民主主義が滅ぶとも」といったデモクラシーの滅びの美学を抱いていない。ワイマールが「たたかった」のは、ナチスや共産党が武装勢力として国家権力を威嚇していたからであり、戦後ドイツが――「たたかう民主制」の標榜とは裏腹に――平穏な民主主義を実現し得たのも、社会の武装解除が進んだからというリアルな認識に立つ。そして「たたかう/たたかわない」の問題は、原理原則論ではなく社会状況を鑑みながら考慮すべきものであり、そこから社会の非暴力性が強く脅かされない現代では自由な政治活動を広範囲に認めるべきであるという結論に到る。


・本稿のスリリングな議論からは示唆を受けるところが大きく、大変勉強になった。最近では、ネットなどで排外差別的な政治言動も展開されているが、だからといってこれらを全部取り締まれというのは暴論だと思う。ただ最後に敢えて異論を付け加えれば、社会を脅かす「暴力」とは物理的な暴力に限定されず、また以前よりそれは「見えにくく」なっているのではないのか。例えばサイバー・テロという「見えない敵」が特定の企業や政府に実害を与えているが、これが今後何かの政治的主張と結びつくシナリオも考えられる。公共性と自由の問題を、空疎な滅びの美学とも、臭いものには全部蓋をという暴論とも異なる態度で扱う著者の流儀を共有し、その困難な問題に取り組んでいきたい。


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図書新聞(第2964号)に、拙著『公共性への冒険:ハンナ・アーレントと《祝祭》の政治学』の書評が掲載されました。東京大学の宇野重規先生によるもので、概ね好意的なご評価を頂きました。有難うございました。

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