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2010/06/26

「コミュニタリアニズム」の自己検証――マイケル・サンデルのハーバード大学講義(1)

・マイケル・サンデルのハーバード大学講義のWEB一般公開は、今年上半期での知的驚きの一つである。NHKで「ハーバード白熱教室 Justice with Michael Sandel」というタイトルで放映されて日本で一般に知られるようになった(今回その放送が一応終了した)。この講義を題材とした『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』がAmazonで売れていることは、このサンデルの講義が「コミュニタリアズム」信奉者や一部の思想業界のみならず広く注目されていることであり、喜ぶべきことだと思う。


【講義について】
・8月に来日して特別講義を行うらしいが、サンデル自身も企画したNHKも、これほど大きな反響があるとは思って無かったのではないだろうか。私をはじめ多くの視聴者が興味深く視聴したのは、サンデルが日常的なテーマに内在する哲学的問題について問題提起を行い、学生側もそれに「自分で考えて」応答・討論しているという点だろう。

・いまだに大学の政治哲学というとプラトン、アリストテレスから始まる無味乾燥な教科書的情報の羅列で終わり、「なぜそれが今重要なのか」が問われない味気ないものがある。あるいは逆に、神棚に祭られたロールズ教、ハーバーマス教、デリダ教のような宗教化された教説(この辺は三島憲一先生の批判がある)を、政治哲学講義として行うようなものもある。サンデルの講義はそのアンチテーゼとでもいうべきものであり、「考えるための道具」としての哲学というスタイルを強調している点が重要であるように思えた。

サンデルはロールズを批判しながらも、決して「コミュニタリアニズム」教の教主として説教していない。功利主義ではこう考え、それをロールズはこう批判し、コミュニタリアニズムではこう理解するが、それに対してどういう批判が考えられるか、というかたちで「考えるための道具」としての哲学の作業を一つずつ行っている。サンデルはこうした考える作業を進めていくことにより、学生に哲学を信奉するのでなく、個別具体的な問題を解き明かすための道具として活用するよう促しており、そうしたスタンスは参考になる部分が多々あった。

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