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2010/09/14

「表現の自由」が息継ぎする空間を求めて(2)――毛利透『表現の自由:その公共性ともろさについて』

 (2)「公/私」区分問題の事例としてのNPO法。NPOは私的なものか公的なものか? 

・このような公共圏を訴えるハーバーマスのコミュニケーション論は、しばしば「話せば分かる」流の空疎な理念として受け取られる(また批判される)が、著者によればそれは誤りである。というのも「コミュニケーション的合理性」を論じたハーバーマスこそ「コミュニケーションの体系的歪み」に敏感であり、コミュニケーションを重ねることに「ワタシの意見」も「ミンナの意見」もおかしなものへ歪められ得ることを想定していたのである。

・「コミュニケーションの体系的歪み」は人間が集団で生活することから生じる問題である。例えば政治的な意識が高く、共通の問題の関心をもった人々と議論を繰り返していくと、主張がだんだん過激になっていくという「集団分極化」という現象が起こる。人は周りの人に影響されやすく、またその集団から評価され承認を得ようとする。その結果「ワタシの意見」が実は集団からの承認を得ようとして変形されたものであり、長い時間をかけた合意に達した「ミンナの意見」が公正なものとはほど遠いものになりうる。このようなコンセンサスの偽装・歪みに人一倍敏感であったがゆえに、ハーバーマスは現実離れした「理想的発話状態」というフィクションを想定したというわけである。

・この問題はわれわれの社会に身近なものであるが、より顕著になるのはNPO法人の問題を考える場合である。特定非営利活動促進法(NPO法)は、「市民が行う自由な社会貢献活動」の促進を目的とするが、このNPOは私的な存在なのか、公的な存在なのか。NPO法ではNPO法人の不的確要件を定めており(第二条二項二号)、宗教団体や政治団体とは一応異なるものとされている。しかしNPOも「政治的な主義主張」(例えば、人権の擁護や平和)と無関係であるわけではなく、その点を厳密に考えると、政治資金規正法の対象となる政党などの政治団体と同じものとして扱われることになる。政治資金規正法が何かと話題を提供するが、その目的は、あらゆる政治団体に届出義務・会計報告・公開義務を定め、それによって国家権力とつながる(可能性のある)団体の資金の流れを可視化することにある。著者はこの点で、直接政治権力と結びつく政治団体とNPOとは異なるものであり、従って後者が政治資金規正法の対象になることは避けるべきであるとする。

NPOのような団体は私的で社会の一アクターにすぎず、いかなる意味でも「国民」を代表するものではない。しかしそうであるがゆえに、社会に働きかける行動の自由は確保される必要があり、その前提があるからこそ公論が形成される。この政治/非政治をつなぐ部分にこそNGOらによる市民社会の意義が存在する。

・では「集団分極化」の問題はどう対処すべきか。政治権力の側が、危ない団体にレッテルを張ったり、共謀罪を摘要したりするのは好ましくない。また著者は団体の情報公開を徹底すべきだという安易な手法にも同調しない。それは(アメリカ公民権運動のように)社会的にマージナルでマイナーな団体の活動を萎縮させることになりかねないからである。そのため重要なのは、法であれこれ規制することよりも、集団が一定の段階で自分たちの殻を破り、異質な集団同士が議論すること自体が自分たちの主義主張を実現させるためにプラスに働くような状況をつくることであるとする。

・こうした議論は、新自由主義へのアンチテーゼでもある。新自由主義は、国家権力を縮小し市場に委ねることが政治的に正しいとするが、それは裏返せば「市民社会」を「市場」に還元することであり、その結果自分のグループの声だけを政治で実現させる圧力が高まり、社会的分断を加速させることになる。さらに言えば「官から民へ」を掲げながらも、国の政策は権力者と私的な関係のある人間や集団の利害が優先され、それはある場合「国益」や「公共性」の名で正当化されうる。そのような点からも、「市場」とは異なる原理で形成される「公論」が必要であるとされるのである。

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