政治における「美徳」とは何か――補足(1)
日常を覆う「美徳」について
・「美徳」についての私的見解。私の感覚では「美徳」はアリストテレスを持ち出したり公民教育を云々する以前に、われわれの日常社会を無意識に覆っているものだと思う。「努力」「友情」「勇気」という美徳は少年マンガの定番テーマであるし、健康やダイエットの広告はわれわれに「節制」を促すものである。まじめで「勤勉」を美徳とするのはサラリーマンだけはないし(Don't say “lazy”)、他者の考えに「寛容」であるのはリベラリストだけではない。
![]() | ニコマコス倫理学 (西洋古典叢書) アリストテレス Aristotelis by G-Tools |
・したがって「美徳」はリバタリアンにもリベラリズムにもあり、コミュニタリアンの専売特許にするのはあまり意味がないような気がする。過度に「美徳」を強調する政策は、得てして勤労奉仕や青少年健全育成条例などの話に結びつきやすい。(サンデルが一応距離を置く)文化的保守派や宗教的右派はそういう「美徳」の涵養を好むが、それは常に抑圧と紙一重であり、逆にうまくいっている「美徳」の内面化に悪影響を及ぼしかねない。校長先生の退屈な訓示などではなく、リアル/フィクションで心を突き動かす言葉や物語によって人は感化されるのだと、と私は思う。
アリストテレスにおける「美徳」の位置づけについて
・アリストテレスは『ニコマコス倫理学』で「美徳」arete を論じているが、同書全体の主題は「人が幸福(エウダイモン)に生きる」とは何か、よい人生とは何かである。したがって「人の幸福」がテーマであり「ポリスの幸福」がテーマではない。むろん「ポリス的動物」としての個人が「美徳」によってポリス(社会)と幸せに結びつくこともあるが、例えば第10巻では哲学に携わる「観想的生活」が政治に関与する「活動的生活」よりもよいとも語る。つまりポリスに関与しない生活のほうが「よい」可能性をアリストテレスは否定していない。
・他方で『政治学』でのウェイトは「人の幸福とは何か」よりも「よいポリスとは何か」であって、ここではポリスの運営の視点から「美徳」が眺められる。例えば市民の徳と善き人の徳は一致しなくてもよい(Ⅲ-4)とか、家庭の徳の有様はポリスの国制に基づく(Ⅰ-13)という話が展開される。
・ちなみにアリストテレスが「美徳」「悪徳」として具体的に考えているものには以下のようなものがある(『エウデモス倫理学』での性格の美徳リスト:アームソン59頁から転載)
【過剰】 【欠落】 【適切】
怒りっぽさ----無感情------穏やか
無謀 --------臆病 ------勇敢
恥知らず----恥ずかしがり---恥を知る
放埒-------無感覚--------節制
ねたみ-----(名称なし)-----義憤
利益-------損失----------公正
浪費-------けち-----------気前の良さ
自慢-------卑下-----------誠実
追従-------無愛想---------好意
卑屈-------横柄 ---------威厳
虚栄--------卑小 ---------気高さ
虚飾--------低俗 ---------壮大
![]() | アリストテレス倫理学入門 (岩波現代文庫) J.O. アームソン J.O. Urmson by G-Tools |
・以上のいわゆる「中庸」の美徳論は、何事もほどほどがいいという退屈な話ではない。それは感情の適切な表現を吟味したものであり、「気性の優れた人は些細なことについては激しく怒らず、非道な行いには激怒する」(アームソン60頁)のであって、いつも穏やかでいなさいという空疎な説教ではない。だがこの「中庸」説は一応もっともらしい話だが、それでもよくよく考えると実は何も言っておらず、その不十分さにアリストテレス自身が気づいていたという指摘もある。例えば『ニコマコス倫理学』の訳者である朴一功氏は「むしろ、論じるに従って、彼〔アリストテレス〕は中庸説の効用という魔法から次第に解放され、その平凡さ、無益さに一段と気づいているように見えるのである」とまで語っている。訳者のこの指摘は非常に説得力があり、感銘を受けたのを記憶している。
従ってサンデルがアリストテレスにおける政治の目的は「善き市民を育成し、善き人格を養成する」(250頁)という話は無論過ちではないが、結局は「よい市民」「よい人格とは何か」をはっきりさせないと意味がない。むしろアリストテレス=美徳の政治に還元されない点が無数にあって、そこからはみ出る話の方が個人的には重要だと思う。
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