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2011/04/17

「震災以前/以後」「私たち/彼ら」の距離――「マイケル・サンデル 窮極の選択「大震災特別講義~私たちはどう生きるべきか~」」(4/16放映)を視聴して

「白熱教室のサンデル先生は、この日本の大震災をどう考えるのか?」 一応時間前にTV前に待機して(正座はしてないけど)視聴したが、お世辞にも良い内容とは言えず、最後は軽い失望感が残った。いろいろ理由はあるが、一つはまだ現代進行形で原発を含めて見通しの経たない問題にステレオタイプな議論を持ち込むことの空疎さ、そしてもう一つはサンデルが劣化したのではなく(良くも悪くもサンデルは変わっていない)受け取るこちら側が根本的に変わってしまった点に関係している、と個人的に感じた。

・まず冒頭からの「秩序と礼節を重んじる日本人」「日本人の高い公共性」礼賛論への違和感。便乗値上げや掠奪があまりなかった(全くではない)ことは、確かに誇るべき点なのかもしれない。だがそれは、例えば高橋ジョージが「もっと大変な人たちがいる」と言った被災者の負の連帯意識であって、手放しで喜べるものではない。また石田衣良が「思想ではなく生活に染みこんでいる」とした日常感覚は、良くも悪くも「空気」の支配であり「コミュニタリアニズム」と呼べる高級な代物ではない。それは裏返せば強力なリーダーシップを不要にして政治コストを安上がりにするものではあるが、このリーダーシップの不在こそ明らかにこの緊急時においてネックになってきている。

・被災した日本には各国から多くの支援が行われたが、「わたしたちはグローバルな共感を持てるのか」。ルソーは「日本で起きた災害にヨーロッパを襲った災害と同じだけの衝撃を受けるわけではない」と言ったが、「共感」の範囲には限界があるのではないのか。石田衣良は「もしルソーが生きていたら、Youtubeで津波の動画を見て、隣の国でおこった事件として共感を抱いていたはず」と答えたが正論だと思う。ここで言及されているルソーが経験したヨーロッパの災害とはおそらくリスボン大地震だと思うが、この震災はルソーのみならずヴォルテールやカントら当時の多くの知識人に深い衝撃を与え彼らの思想を大きく変質させた。その点でリスボン大地震からルソーが感じた同じ衝撃を、現代の海外知識人が感じたとしても不思議ではない。そしてそれは一部の知識人に限らず、広く草の根で見られる現象なのかもしれない。だがそのプラスの「共感」と同時に、マイナスの「拒絶感」、すなわち福島どころか日本自体が風評被害や懸念材料とされていることも織り込まないと明らかにバランスが悪いように思える。

サンデルは良くも悪くも変わっておらず、自身のフレームで説明可能な範囲でしかこの大災害を扱っていない。冒頭での日本人の秩序正しさの美徳や、原発対応への高額報酬の問題などは、昨年の「NHK白熱教室」などで取り上げた講義のデジャブに見える。こうしたサンデルの話が進行形のリアルを上滑りしているように感じるのは、やはりボストンという遠く離れた「外部」から眺める「他人事」だからなのかなという感じがする。もっともその「外部」で「他人事」の視点こそ、この大きな問題を理解する上で重要なのかもしれないとも思ったのだが、それは期待はずれだった。登米市が実家で震災当初連絡がとれなかった(従って若干「覚悟」した)私自身の眼差しからは見えない何かを、サンデルが「一歩下がって」見つけて言葉にしたかもしれないと思ったが、そういうものは皆無だった。


・「究極の選択」と銘打った番組を予定を変更して特別講義風にしたようだが、「窮極の選択」ならばifの仮定話などよりも(残念なことに)リアルで問題が山ほどありそうである。番組内での選択、例えばシナリオ1「原子力のリスクを最小限にして依存を続ける」シナリオ2「生活水準を下げても原子力への依存を減らす」などよりも、深刻な「窮極の選択」は発生しつつある。例えば「“住み慣れたコミュニティを離れるなら死を選ぶ”と言う人を置き去りに出来るのか」などはifの話ではなく、現在進行形の問題である(もっと深刻なものもゴロゴロしてそう)。こうした切迫したリアルな問いとサンデルの政治哲学との距離は、野戦病院と清潔な実験室とのあいだぐらい温度差があり、遠く隔たっているように感じられた。

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