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2011/05/16

ハンナ・アーレント『人間の条件』を読む(1)――「労働」「仕事」「活動」

・(不定期的にアーレントの再読をupしようと思います。読み方はいろいろあると思いますが、「こう読んだ方が面白い」という独断も混じってますのでご寛恕のほどを。)

『人間の条件』のテーマを一言で言うと、「政治」とは生きるために働く「労働」とは違う、「政治(ポリス)」と「経済(オイコス)」とは違うということです。『人間の条件』ではこのテーマをめぐって「労働(レイバー)」「仕事(ワーク)」「活動(アクション)」という三つの行為の抗争として西洋政治思想史が描かれています。言葉を使って他者に働きかける「活動」が、生命を維持するための「労働」とも、モノをつくりだす「仕事」とも異なること、そしてそのルーツとして古代ギリシアのポリスが語られていることは誰にでも理解できると思います。

人間の条件 (ちくま学芸文庫)人間の条件 (ちくま学芸文庫)
ハンナ アレント Hannah Arendt

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・しかしこのアーレントの話をすんなり受け入れることは困難です(逆を言えば、すんなり受け入れられる人は何も考えずに読んでいると思います)。というのも、(1)古代ギリシアでは「政治」と「経済」は本当に別領域のものだったのか、(2)なぜこのような「政治」の捉え方をアーレントが行っているのか、そして(3)それが現代社会でどの程度意味のある話なのか、といった疑問が次々生じてくるからです。

(1)本当にアーレントが語るように「政治(ポリス)」と「経済(オイコス)」は古代ギリシアでは別領域のものだったのでしょうか。より正確に言えば、家政(=オイコス)で生活の「必要」性から解放されることが、ポリスに参入する条件であったという話はどの程度妥当なのでしょうか。

・確かに、社会分業が未熟な段階で当時の家政(=オイコス)が果たした役割は大きく、その家政の運営による自立(奴隷を支配することで獲得した余暇)が現在よりも重要であった点は否定できません。しかしながら歴史的に見ると、アーレントが提示する二元論的構図、すなわちポリス=光=自由/オイコス=闇=必然という構図では説明できないことがたくさんあることに気づきます。

例えば、前6世紀初頭のアテナイでのソロンの改革。この改革は市民が債務奴隷となるのを防ぎ、国政参与の資格として四つの財産基準等級を設置したものですが、このように「市民」の資格問題はポリスとオイコス双方にまたがるものでした。ポリスの民会で議論されていたことも、「私的利害」とかけ離れた抽象的な絵空事ではなく、どこと同盟を結び誰を敵として戦うのかという切実な問題であったわけですし、その中には「私的利害」を拡張させた露骨な侵略戦争(ミルティアデスのペロス島遠征など;ヘロドトス『歴史』Ⅵ-132、澤田典子『アテナネ民主政』参照)も含まれていました。

アテネ民主政 命をかけた八人の政治家 (講談社選書メチエ)アテネ民主政 命をかけた八人の政治家 (講談社選書メチエ)
澤田 典子

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・アーレントが『人間の条件』で「活動」の原初的形態として賛美する将軍ペリクレスや英雄アキレウスらも「オイコス」の問題と無関係ではありません。ペリクレスが政敵キモンに対抗するために貧乏人へ観劇手当を施したこと(今風に言えばバラマキ政治)は有名ですし、アキレウスが参加したトロイア戦争も、そのきっかけは寝取られた女房を奪い返す話(その背後にはギリシアの一夫一妻制と、異民族の一夫多妻制との社会制度の違いがありました)でした。ましてやパトロン関係(クリエンテーラ;日本風に言えば親分・子分関係)の強い古代ローマには、アーレントの話で説明できないことはなおさら多く存在します。要するに、アーレントが語るポリス/オイコスの二元論は歴史社会学的に見るとほとんど説得力がない、と私は思います。そして問題なのは、こうした批判がアーレントの同時代からあったにもかかわらず、彼女自身がきちんと応答していない点にあるのです。


(2)それでは、なぜアーレントは「政治」をこのように「経済」から切り離された(ある種異様なもの)として論じたのでしょうか。

 (2-a)まずアーレントが生きた当時のアメリカ社会、この「豊かな社会」アメリカでの人間の条件の変質という点が考えられます(この点に関しては、川崎修氏が早くから指摘されています)。『人間の条件』の冒頭では、オートメーション化が人間を「労苦と困難」から解放するかもしれないとしながらも、それが幸福な社会の到来とは必ずしも結びつかないと論じています[14頁]。というのも、「豊かな社会」になっても、人間が依然として「労働する動物」の価値観に囚われ、「労働」(あるいはその反転としての「消費」)を最高の価値としているとしたら「労働のない労働者社会」とは悪夢でしかありません。「豊かな社会」において余暇が増えたアメリカで「政治」の中身がどう変わっていくのか。アーレントは同時代のアメリカを古代ギリシアに投影させることで、そうした問いに答えようとしているように思います。

ハンナ・アレントの政治理論 (アレント論集 I) (アレント論集 1)ハンナ・アレントの政治理論 (アレント論集 I) (アレント論集 1)
川崎 修

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 (2-b)それと同時に、この問題は「政治とは何か」という『人間の条件』を貫く問いかけと直接繋がっていることを思い起こす必要があるでしょう。つまりアーレントの語る「活動」が言葉を使って他者に働きかける行為であると言うとき、それは単なる日常会話の風景ではありませんし、ルーチンワーク的に処理される合図のようなものではありません。あるいは単純な「命令-服従」関係で進められるような場面も、アーレントに言わせれば「政治」の場面でありません。言葉を使って働きかける「活動」とは、他者とのあいだに新しい関係が生み出されるチャンス(それはこれまでの自明な関係の解体と同義だと私は思います)であり、何か新しい「はじまり」が生まれる瞬間にあります。というのも「他者」とは「私」と異なる本来的に異質でユニークな存在であり、そうであるからこそ「他者」との《あいだ》を補い跳躍する「言葉」が必要となるからです。自分の言葉は相手に伝わらないかもしれない、無視されるどころか誤解されて敵意をまねくかもしれない、それにもかかわらずその言葉に賭けなければならない……。このような不確かな言葉で他者に働きかける「活動」は、自然を対象とした農作業などの「労働」とも、設計図どおり椅子や家を組み立てる「仕事」とも違うのだ、というのがアーレントの主張であるわけです。

(3)さて以上のような「政治」の独自性を強調するアーレントの議論は、現代社会でどれぐらい意味のある話なのでしょうか。無論、複雑な利害関係を無視した「政治」などリアルとはかけ離れた学芸会のお遊びだと切り捨てることもできるでしょう(無責任な礼賛論よりも知的に誠実だと思います)。

・マルクス主義の崩壊以後にアーレントの政治思想が注目された背景には、(2-a)の議論の延長として「政治」の刷新、つまり利益政治に還元できない「アイデンティティ/差異」の政治の文脈での関心という点が考えられます。この点は今日でも「複数性の政治」として論じられていますが、アーレントの政治思想の意義は「アイデンティティ/差異」論や「複数性の政治」論に収まりきらないと私は考えています。

・というのも(2-b)で論じたように、「政治」における「他者」とは、多様性とその承認(=「世界に一つだけの花」)で済ませられるものではなく、むしろ厄介で予測できない危うい存在だからです。言葉による「他者」への働きかけはうまくいかないかもしれませんし、協調関係を築こうとする試みが敵対関係を創り出してしまうかもしれません。アーレントの政治思想の意義、それは古代ギリシア政治への賛美にあるのではなく、「アイデンティティ/差異」の政治にもあるのではなく(ましてや「政治参加」論や「非暴力」論などでもなく)、この不確かな言葉のゲームとして「政治」を記述しようとしたところにある、と私は思います。言い換えれば、見知らぬ存在としての「他者」、そして「言葉」自体の不確かさと統御不可能性、こうした点を踏まえて「政治」の原初的な姿を描き出そうとした点こそ評価されるべきでしょう。アーレントはこのような「政治」の姿を他のところで「公共性への冒険」と呼びました。「労働」「仕事」とは異なる「活動」とは、この不確かな言葉のゲームに身を投じる冒険であり、この「公共性への冒険」こそ今なお色褪せない意義を持つものであると私は思います。

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