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2011/09/13

メディア-ネット社会におけるアーレントの「公共性」(1)

アーレントの「公共性」論に「メディア」はどう位置づけられているのでしょうか。またアーレントの政治思想がネット社会の新たな「公共性」を切り開くという議論はどれほど妥当なものでしょうか。結論から言えば、アーレントの「公共性」には、メディアやネットと結びつく部分と反発する部分があり、その双方を読み取る必要があると私は思います。つまり、アーレントをネット的「公共性」の担い手とする安易な礼賛論を批判した上で、その批判の上に取り組むべき重要な論点があるように思います。

・まず単に「関係の網の目」 web of relationships (『人間の条件』[第25節])という言葉が「ウェブ」社会を先取りしたものだ、という話には正直説得力がありません。人間関係を網の目に喩える話は古今東西いくらでもあるでしょうし、それは例えば cloud (雲)という言葉で何かを喩えた人が「クラウド」ネットワークの予言者ではないのと同じです。またアーレントの「公共性」は言語活動を強調するからリアルな身体を必要としない、だから「現れの空間」はネット空間そのものだという話にも同意できません。先の記事で触れたように、アーレントは「現れの空間」という言葉で、他者と直接対峙する運動や空間をイメージしていました。ホメロスの謳う英雄たちや古代ギリシャ・ポリスの話から、アメリカ革命の建国の父祖たち、そして同時代のハンガリー革命に至るまで、それは明らかです。なぜこのようなアナクロとも言える「公共性」にこだわったのかを無視して、ネット社会の担い手としてアーレントを論じるのは無理があります。そしてそもそも他の思想家(例えばハーバーマスなど)の方がうまく論じられる話に「アーレント」という記号を当てはめているように思えてなりません。


・ではアーレント自身は「メディア」と「公共性」との関係についてどう考えていたのでしょうか。結論から言えば、アーレントは「メディア」が「政治」の外部にあることで重要な役割を果たすという立場をとっていました。例えば、ジャーナリストは政治的「意見」に左右されない「事実の真理」の担い手であり、司法を担う裁判官らと同様に統治権力や社会的圧力から慎重に守らなければならないとしています[「真理と政治」『過去と未来』]。むろんこのような主張の背後には、リアリティを支える「事実の真理」の脆弱さという問題があります。「1914年8月ドイツ軍がベルギー国境に侵入した」という出来事さえも、「事実」ではなく「意見」にされてしまう、あるいは「なかった」ことにされてしまう、そうしたリアルが容易に書き換えられてしまうことへの警戒がアーレントの中にあるのは疑いありません。そしてこの「事実」を伝えるジャーナリズムの先駆的存在として高く評価されているのが古代ギリシャの歴史家ヘロドトスです。ギリシャ人も異民族(バルバロイ)もかかわりなくその栄光を称える不偏不党の態度こそ歴史家に求められるものであり、ヘロドトスこそその体現者であるという評価をアーレントは一貫して行っています。

・こうした話は一応もっともらしく聞こえ、肯定的に評価する人もいるのですが、しかしながらナイーブすぎてあまり説得力がないと私は思います。本当に歴史家やジャーナリストは「政治」の外部にあって価値中立的で不偏不党な記述を行っているのでしょうか。このような批判はすでにアーレント以前から存在しました。例えば、W・リップマンは『世論』(1922年)で、目撃証言の信憑性を心理学の知見から検証し、混沌とした情報を理解可能なものにするフィルターとしてステレオタイプがあること、何をどう伝えるかという作業が編集という点で不可避的にバイアスを被ることに注目しました。現在のメディア・リテラシーにも示唆を与えるリップマンの視点から見ると、アーレントの話は素朴すぎると言わざるを得ません。またヘロドトスが異民族の優れた業績を「驚き」をもって記録し、永久に保存しようとした点は、確かに中国などの王朝正統史観とは異なる優れた知的態度だったのかもしれません。しかし、ペルシアだけではなくエジプトもバビロニアもリビアも「バルバロイ」というカテゴリーで論じるヘロドトスの視点は、ギリシャ人とそれ以外の民族との抗争という歴史観に基づくものであり、アーレントが言うように民族的立場を離れて記述したとは到底言えません。そしてこうしたギリシャ人/バルバロイという構図を批判的に捉えたのが(アーレントが度々批判する)プラトンであったことも確認しておく必要があるでしょう(藤縄謙三『ヘロドトス』17-18頁. 参照。アーレントの歴史記述についてはさらに「物語」論という厄介な問題があるのですが、これについてはまた別に記したいと思います)。


ヘロドトスヘロドトス
藤縄 謙三

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さてアーレントは以上のように、一方では「メディア」と「公共性」とを切り離そうとするのですが、他方ではこの二つが密接に結びつくという(一見すると矛盾に見える)主張を行っています。先に「現れの空間」としての「公共性」が他者と直接向かい合うことで「メディア」なしに人びとが結びつく空間であることを確認しました。「メディア」抜きで他者の姿を見、他者の声に耳を傾けることで、われわれの「リアリティ」が形成されるのだ、というのがこのテーゼの根幹にあるわけですが、ここで重要なのは、この他者と向かい合う「現れの空間」の存在が脆弱極まりないという点にアーレントが注意を促している点です。要するに、誰かと会って行動を共にしたという「リアリティ」、他者と経験を共有することで獲得した「リアリティ」も、それを伝え・記憶する他者がいなければ容易に失われ、「何もなかった」ことと同じになってしまうということです。どんな素晴らしいスピーチやイベントもそれを記憶し伝える人がいなければ、「なかった」ことと同じになる。最も偉大なものが最も儚いものであるというパラドクス。従ってそのような偉大な言葉、偉大な行いを忘却から救い出し、永久に保存する存在として歴史家が必要不可欠なものとなるわけです。アーレントの言葉で言えば、それは一時的な集まりとしての「現れの空間」から、人間の一生を超えて存続し続ける「共通世界」へとその公共性の次元を変質させることであり、この二つの公共性を結ぶ担い手として歴史家は必然的に政治的存在となるのです。

・しかしながら、この点についてアーレントは二つの補足をしています。
(1)第一に歴史記述の「メディア」化は、全般的忘却への対応であるにしても、そのスピーチやイベントの「活動」自体の「リアリティ」を保全することはできないという点です。要するに、祭りやライブの高揚感は参加した当事者しか分からないように、政治的空間で人びとがどう話しかけ、どう聞き入ったのかは、その場の当事者しか知り得ないということです。「メディア」に記されたもの・書かれたものはあくまでも二次的なものであること、この点について『人間の条件』では、活動と言論の「生きた精神」は、詩や物語の「死せる文字」に「物化」されることでのみリアリティを保つとされています[第12節]。

(2)第二に、歴史物語の語り手なしに「活動」の脆さを救い出すことがポリスの存在意義であったこと、要するに記憶の共同体としてポリスが創設されたとアーレントが論じている点です[第27節:ギリシア人の解決]。ホメロスやヘロドトスのような偉大な語り手がいなくても、「不死の名声」の獲得を可能とすること、そのための記憶の組織としてポリスが作られたのだという話は、むろん史実としては疑わしいですが、アーレントがそのように理解していたことは踏まえておく必要があるでしょう。

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