第15回 政治哲学研究会――石崎嘉彦『倫理学としての政治哲学』をめぐって(2)
・司会者 飯島昇蔵氏からは、「異種混交」の中身の具体性について疑問が提起された。多様な知を統合するというのは方向性としては正しいとしても、それは例えばポリスの学とオイコスの学を統合するということも含むのか? この指摘もこれまた真っ当な批判であるように思えた。
・司会者 飯島昇蔵氏からは、「異種混交」の中身の具体性について疑問が提起された。多様な知を統合するというのは方向性としては正しいとしても、それは例えばポリスの学とオイコスの学を統合するということも含むのか? この指摘もこれまた真っ当な批判であるように思えた。
第15回 政治哲学研究会が、12月19日、早稲田大学の研究会と合同で行われた。
・石崎嘉彦 氏(摂南大学)「Heterogeneityの知について」
・中金聡 氏(国士舘大学)「レオ・シュトラウスのエピクロス主義について」
・村田玲 氏(早稲田大学)「石崎嘉彦『倫理学としての政治哲学』について――摘要と若干の指摘」
司会 飯島昇藏氏(早稲田大学)
部外者であったが、本書を書評をした関係で「他の人がどう読んだのか」関心もあったので、参加してみた。
![]() | 倫理学としての政治哲学―ひとつのレオ・シュトラウス政治哲学論 (叢書フロネーシス) by G-Tools |
・お仕事で書いた書評が『図書新聞』2938号に掲載されました。「レオ・シュトラウスの倫理学は可能か?」(石崎嘉彦『倫理学としての政治哲学:ひとつのレオ・シュトラウス政治哲学論』ミネルヴァ書房、2009年)
・石崎氏は多くのシュトラウスの邦訳を手がけてきており、その点でシュトラウス研究の先駆者といっても過言ではない。本書もそうした点で単なる「彼はネオコンの教祖だったか?」という狭い文脈に留まらず、シュトラウスの思想を入念に辿り、多用な論点について議論が展開されている。しかしながら、「批判的にシュトラウスを読む」という視点がほとんどないことに違和感を感じざるを得なかった――問題関心のズレといってしまえばそれまでなのだが。
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②「秘教的解釈」の「凡庸さ」について
(①学術的「解釈」の成立可能性/不可能性の続き)
このようなポーコックの議論は、シュトラウスの「秘教的解釈」の危うさを早くから適切に批判しているものと言えるだろう。だがこの批判は、シュトラウスの秘教主義に対しては有効であっても、ドゥルリーのそれには該当しない。というのも、ドゥルリー自身、シュトラウスの手法を直接シュトラウス自身に適用させるわけではない、と明言しているからである( Shadia B. Drury, The Political Ideas of Leo Strauss, p.lixff)。ドゥルリーの「秘教的解釈」は、本人自身が述べているように、シュトラウスのように「行間を読む」(between the lines) あるいは「行文の背後を読む」(behind the lines)のではなく、「行文を読む」(in the lines)という手法によるという。具体的には、 (1)非体系的な記述への注目、(2)明瞭な言明が、必ずしも意図通りの記述でないこと、(3)鍵となる概念(徳、正義、高貴さ、紳士性)の二重使用への注目、がそれに該当する。
そうした形で言及されるシュトラウスの「隠された教え」とは何であろうか?
シュトラウスの秘教主義(エソテリシズム)についての要約
参照文献:飯島昇蔵「レオ・シュトラウス――テクスト解釈の課題と方法」小笠原弘親・飯島昇蔵(編)『政治思想史の方法』早稲田大学出版部、1990年、45--83頁.
(1) シュトラウスの秘教的教義・解釈への関心は、イスラム哲学者ファーラービーのプラトン解釈に多くを負っていること。それによれば、哲学的叙述の手法としてのエソテリシズムは、プラトンの独創であり、誤謬に満ちた社会で妥協的な生を選ぶか、それとも非妥協的な死を選ぶかという選択(=ソクラテス裁判状況)に対する哲学者の自己保存的対応であること。
新保守主義におけるシュトラウスの影響(そしてアメリカ外交における新保守主義の影響)を過大視し、「危機」を煽り立てる言説は、すでに現実での言説需要の変動において、忘却されつつあるようにも見える。つまり、フランシス・フクヤマの「転向」は、アメリカ国民の厭戦気分を背景とした中間選挙での民主党の勝利や、超党派議員から成る「イラク研究グループ」(Iraq Study Group)の提言を受けた年明けからのイラク政策の見直しなどとリンクしていることは疑いないし、ある意味必然的であったとも言えよう。
だが本論で注目したいのは、レオ・シュトラウスという思想家が「アメリカの政策に実際に影響力を及ぼしたかどうか」ということではない(現実政治の具体的政策に、「一人の思想家」の影響の有無を論じるのは、――日本とアメリカにおける、知識人と政治家との「距離」の相違を考慮するとしても――かつてマルクスがそうであったように、不毛であると私は思う)。
問題とすべきは、シュトラウス自体のものも含めて、「公教/秘教」という様相でテクストを読み解くこと、それ自体に内在する問題である。ここではその問題を、差しあたり、①「学術的解釈」の成立可能性/不可能性、という問題、②「秘教的解釈」それ自体の「凡庸さ」という問題、の二点を挙げて考えてみたい。
このようなドゥルリーの解釈は、一方において訓詁学的・伝統的、他方において不可解で分かりにくいシュトラウスの思想を、「公教/秘教」という二つの位相から新しい見通しを提示するものとして、確かに刺激的な研究である、と私は思う。しかしながらそれと同時に、こうした解釈手法が学術的な研究においてどれほど有意義なのか、という疑問も強く感じる。
シュトラウス、シュトラウス派、新保守主義、の三者を、ある意味強引に結びつけて論じるドゥルリーのスタンスには、シュトラウス派とは関係のない多くの研究者から既に(それ自体正当な)多くの異議が提示されている。
「新保守主義」と「シュトラウス派」の関係について――主として Shadia B. Drury, The Political Ideas of Leo Strauss, updated edition, Palgrave Macmillan, 2005. の書評。
近年においては、レオ・シュトラウスの「政治哲学」と、その「政治的影響力」との相関性についての研究が注目されている。所謂「シュトラウス派 the Straussian」と呼ばれる知的サークル――シュトラウスから直接的・間接的に薫陶を受けた大学関係者、知識人の集団――が、「新保守主義 neoconservatism」と呼ばれるアメリカの思想潮流の形成に深く寄与し、その一部が共和党政権下において政策形成(とりわけ外交政策)において知的イニシアティヴを握り、アメリカの政治状況を「危うい」ものへ誘導している、とされている。
レオ・シュトラウスは(Leo Strauss)、ドイツからの亡命ユダヤ人政治哲学者。1899年生-1973年没。主著として『ホッブスの政治学』(1936→1952)『自然権と歴史』(1953)『リベラリズム:古代と近代』(1968)などがある。
ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)は、ドイツからの亡命ユダヤ人政治哲学者。1906年生-1975年没。主著として『全体主義の起源』(1951)『人間の条件』(1958)『革命について』(1963)などがある。
レオ・シュトラウスとハンナ・アーレント。この二人の政治哲学者が、ユダヤ人亡命者としてドイツからアメリカに渡り、戦後アメリカ政治思想の展開に重大なる寄与を行ったことは、多くの政治学研究者によって知られている。
シュトラウスあるいはアーレントに携わった研究者は、問題関心や思想的ツールを共有しているこの両者の間に、知的交流がほとんど存在せず、異様な沈黙が保たれていることの意味を理解している。すなわち、両者ともに、ドイツ時代にマルティン・ハイデガーから多大な知的影響を受け、「近代性 modernity」批判から古代ギリシャの「政治」と「哲学」への思索に赴くなど、思想的モチーフを多く共有しながらも、相互の言及がほとんど行われていないこと、そして、そのある種の沈黙は、両者がある時期において同じ大学の同僚であったことを考えると異様に思えるものの、それはドイツ時代において両者の間に生じたとされる「ゴシップ」に由来しているであろうことから、その沈黙の蓋を穿り返すのはある種のタブーであるように思われてきた。