2011/04/11

「政治学」に何ができるか(1)――国家と個人の自足性(アウタルケイア)という問題

・人は一人では生きていけない。人が生活するのに必要な物資・サービスが確保され、それが一時的な利害関係ではなく恒常的な信頼関係に支えられた状態。アリストテレスはそれを「自足性(アウタルケイア)」と呼び、ポリス(国家=社会)がその実現単位であるとした。人は生活のために家庭(オイコス)を形成し、それが集まり村となり、さらに集合してポリスとなる。このように人が物質的・精神的な充足を得るためにコミュニティ(群れ)を必要とし、それが(単なる人為的な約束事ではなく)自然本性に根ざしていることは、有名な「ポリス的動物」という言葉で表現されている。


政治学 (西洋古典叢書)政治学 (西洋古典叢書)
アリストテレス 牛田 徳子

by G-Tools

続きを読む "「政治学」に何ができるか(1)――国家と個人の自足性(アウタルケイア)という問題" »

2010/09/21

「表現の自由」が息継ぎする空間を求めて(3)――毛利透『表現の自由:その公共性ともろさについて』

(3) 「表現の自由」における「匿名」の意味について


・「表現の自由」はしばしば「プライバシー」を侵害する点が問題とされる。だが「表現の自由」と「プライバシー」とは必ずしも対立関係にあるのではない。むしろ「表現の自由」のために匿名性が保護され「プライバシー」が守らねばならない場合も多い。それゆえ著者は「公論の形成のために何でもオープンにすべきだ」というありがちな主張には同調しない。というのも「表現の自由」の歴史を顧みれば、社会一般やコミュニティに受容されない意見を公けにするのは一部の勇者であり、その状況では一般市民は圧倒的に沈黙を強いられるからである。著者は「表現の自由」を考える上で、この「萎縮効果」chilling effect の重要性を強調する。

続きを読む "「表現の自由」が息継ぎする空間を求めて(3)――毛利透『表現の自由:その公共性ともろさについて』" »

2010/09/14

「表現の自由」が息継ぎする空間を求めて(2)――毛利透『表現の自由:その公共性ともろさについて』

 (2)「公/私」区分問題の事例としてのNPO法。NPOは私的なものか公的なものか? 

・このような公共圏を訴えるハーバーマスのコミュニケーション論は、しばしば「話せば分かる」流の空疎な理念として受け取られる(また批判される)が、著者によればそれは誤りである。というのも「コミュニケーション的合理性」を論じたハーバーマスこそ「コミュニケーションの体系的歪み」に敏感であり、コミュニケーションを重ねることに「ワタシの意見」も「ミンナの意見」もおかしなものへ歪められ得ることを想定していたのである。

続きを読む "「表現の自由」が息継ぎする空間を求めて(2)――毛利透『表現の自由:その公共性ともろさについて』" »

2010/09/13

「表現の自由」が息継ぎする空間を求めて(1)――毛利透『表現の自由:その公共性ともろさについて』(岩波書店、2009年)

私的な自由であるはずの「表現の自由」が、なぜ「公共性」にとって重要なのか? 著者はこの問題が従来の憲法学でうまく扱えない点から説き起こし、アメリカ、ドイツ(+日本)の「表現の自由」に関する事件・判例から考察を行う。本書は憲法学の専門家向けに書かれたものであるが、「萎縮効果」論などは現在の表現規制の問題にストレートにつながっており、その点で「表現の自由」の根幹を問い直すために読まれるべき一冊である。

 個人的には以下のような論点が興味深いものであった。
 (1)民主主義社会におけるハーバーマス的「公共圏」の意義について
 (2)「公/私」区分問題の事例としてのNPO法、NPOは、私的な組織か公的な組織か? 
 (3)表現の自由における「匿名」の重要性、「萎縮効果」論のコンテクストとしてのアメリカ・マッカーシズム

表現の自由―その公共性ともろさについて表現の自由―その公共性ともろさについて
毛利 透

by G-Tools

続きを読む "「表現の自由」が息継ぎする空間を求めて(1)――毛利透『表現の自由:その公共性ともろさについて』(岩波書店、2009年)" »

2010/04/29

「たたかう民主主義」は公共性の友か敵か――毛利透「自由『濫用』の許容性について」(『自由への問い:(3)公共性』所収)

・鳩山首相の掲げる「新しい公共」。「NPOのみならず、消防団やPTA、商店街、会社など多様な公共の担い手が、国や地方の政府とも連携、協力しながら、居場所と出番のある社会を作ること」が豊かな「公」を実現するという(鳩山首相4/26ツィッターより)。

・だがこの「新しい公共」の議論で根本的に欠落しているのは、「公共性」が孕む権力性・暴力性への認識である。みんなで仲良くハッピーなら「公共性」云々などそもそも不要である。多様で対立する意見・利害・思想から何を「公共」として取捨選択するのか、その取捨選択のアートこそが「政治」であることは子供でも知っていることではないのか。政治家ならなおさらこうしたアートに通じているだろう、「友愛革命」なんて実は「高貴な嘘」だろうと思っていたが、鳩山政権の迷走を見るとそうでもないらしい。そうなるとこの「新しい公共」の行方も怪しいように思える。

続きを読む "「たたかう民主主義」は公共性の友か敵か――毛利透「自由『濫用』の許容性について」(『自由への問い:(3)公共性』所収)" »

2010/03/14

「新しい公共」の何が「新しい」のか?――内閣府「新しい公共」円卓会議から

・鳩山首相が提唱する「新しい公共」の構想に基づいて、第1回「新しい公共」円卓会議が1月27日、第2回円卓会議が、平成22年3月2日に開催された。
 座長・金子郁容氏、他メンバーや内容については、こちらを参照。

「新しい公共」というが、その何が「新しい」のだろうか
=====================================
社会問題の解決はこれまで、ともすると、「政府か市場に任せる」、いわば、人任せになっていた。政府・行政や市場を通じての企業活動が重要であることは言うまでもないが、「新しい公共」を実現するには、それに加えて、当事者のひとりひとりがそれぞれの役割でかかわることで課題を解決するという「コミュニティ・ソリューション」を促進することが重要である。(第一回会議資料3)
=====================================

続きを読む "「新しい公共」の何が「新しい」のか?――内閣府「新しい公共」円卓会議から" »

2009/10/04

「公」のための「投票の秘密」という逆説――田村理『投票方法と個人主義:フランス革命にみる「投票の秘密」の本質』

投票方法と個人主義―フランス革命にみる「投票の秘密」の本質
442373107X

・民主党の大勝利と自民党の大敗北で終わった先日の選挙結果が、小選挙区制という制度に大きく依拠していることはよく知られている(また小選挙区制が必ずしも二大政党制に落ち着くものではないことも、前掲の杉田敦『政治への想像力』などでも言及されている)。だが「選挙」の問題は、小選挙区制や比例代表制の問題に終始するものではない。例えば「投票の秘密」、投票における匿名という問題も依然として十分に問われるべきものであるように思える。

田村理『投票方法と個人主義』は、「投票の秘密」が「公共」のために厳密に守られるべきという原理が、なぜ・どのように形成されたのかという問いから、フランス革命期における選挙制度をめぐる物語を鮮やかに描き出す。

続きを読む "「公」のための「投票の秘密」という逆説――田村理『投票方法と個人主義:フランス革命にみる「投票の秘密」の本質』" »

2008/11/30

「暴力」とは何か?――アーレントと『共和国の危機』

暴力について―共和国の危機 (みすずライブラリー) 暴力について―共和国の危機 (みすずライブラリー)
Hannah Arendt 山田 正行


by G-Tools

・ハンナ・アーレントが、自分の仕事は「哲学」ではないと言ったことはよく知られている。もともと彼女はハイデガーやヤスパースらの「哲学」に従事しながらも、アメリカに渡って『全体主義の起原』でブレイクする前は、歴史家と時事評論家の中間のようなフリーランス・ライター(1945年11月18日ヤスパース宛の手紙)の仕事をしていた(その他、編集者、大学講師、ヨーロッパ・ユダヤ文化再興委員会調査主任などの仕事もしていた)。

この「時事評論家」という仕事はアーレントの政治思想の重要な一部であった。弟子のE・ヤング=ブルーエルの証言では、アーレントは常々、抽象的な哲学や理論ではなく、事件や事実から考えることを重んじていたらしい(この点については、エリザベス・ヤング=ブルーエル『なぜアーレントが重要なのか』に記されている。『図書新聞』で拙書評が近々掲載予定)。

60年代アメリカの動乱(学生運動、公民権運動など)についてアーレントが綴った『共和国の危機』(1969)は、この「時事評論家」のセンスが存分に発揮されたものである。同書には「政治における嘘」「市民的不服従」「暴力について」といった論文が収められているが、これらでは同時代の時事問題に対して、政治思想の視点から鋭い分析が行われている。

続きを読む "「暴力」とは何か?――アーレントと『共和国の危機』" »

2006/09/19

国益とは何か:佐藤優『国家の罠』を読む(2)

・しかしながら、著者が本書で何度も繰り返す「国益優先」という言葉には少々戸惑いも感じた。「すでに「国益」の単位となる「国家」の枠組み自体は、相対化されている」というよく言われる批判について、ここでは括弧に入れるとしても、当惑を感じた。

続きを読む "国益とは何か:佐藤優『国家の罠』を読む(2)" »

国益とは何か:佐藤優『国家の罠』を読む(1)

・著者は1960年生。外務官僚(ノン・キャリア)として国際情勢分析に従事し、北方領土問題などで鈴木宗男氏をサポート。

国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて 国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて
佐藤 優

by G-Tools

・本書は、①北方領土交渉に代表される、これまでの対ソ/対露外交の経緯、②外務省、田中真紀子女史、鈴木宗男氏、を取り巻く問題、そして③鈴木宗男氏をめぐる著者自身の検察庁との攻防(著者は「背任」と「偽計業務妨害」で起訴・懲役2年6ヶ月、執行猶予4年とされた)などが、物語的に語られている。当時の外務官僚や学者の実名が挙げられ、実際の外交実務の「現場」が生々しく語られていて、非常に興味深い。

続きを読む "国益とは何か:佐藤優『国家の罠』を読む(1)" »

twitter

Google


  • Google

スポンサードリンク

advertisement

無料ブログはココログ

お勧めの一冊